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会という名の作品

「噺家渡世の余生な噺」 第13回

志を映す名前

 会の名前にも、少しばかりこだわりがある。

 「鈴本囀りの会」。鯨の舌や河豚(ふぐ)の口の部分を、「さえずり」と呼ぶ。今はまだ小さな舌――小さな噺家に過ぎないが、やがては鯨のような大きな舌――看板噺家となり、河豚のように――芸で、じわりと痺れさせ、高座にて噺を大きくさえずる――いや、轟かせる。そんな思いを込めて、名付けた。

 「柳家小志ん廻し」。噺のネタ「五人廻し」に音をかけている。この噺は五人の男によるオムニバス――それにならい、会もまたバラエティに富んだ構成とする。さらに柳家小志んの名は、先代が曲独楽の名人であったことにちなみ、そこへ一つかけて、お客様を掌の上で回す――そんな思いを込めて名付けた。

 昔、ある春風亭の後輩から独演会の名前を相談された。二日ほど熟慮して「暁の会」を提案した。 春風亭の亭号から「春眠暁を覚えず」にかけ、やがては暁の光のごとく、高座から落語界に新たな朝を呼び込み、噺家仲間を目覚めさせる。そんな思いを込めて名付けた。これ以上にない賞賛の言葉をもらい、我ながら良い名付けを思いついたと感心していた。後日、彼のチラシを見かけた際には、ただの「〇〇独演会」となっていた。

 声をかけてもらう仕事だけでも生活はできている。それでも、なぜ自分で会をやるのか。理由は単純だ。「会」という形に残らない作品を育てている感覚があるからだ。本来なら、こちらがお客様に礼を言う立場だ。だが帰り際、「ありがとうございました」「また頑張れます」そう声をかけていただく。それが、自分の会であればあるほど、胸に沁みる。入門前の私が、師匠の柳家さん喬に抱いていた気持ちと同じだ。