2026年9月の最前線 【後編】 (講談『太閤記』小考⑥ / 9月・10月のおススメ講談会)

「講談最前線」 第27回

大阪は堺にある家康の墓とは!?

 その『豊臣兄弟!』で存在感を放ち始めている家康が息絶えたという南宗寺。

 今回、ここを訪ねたかったのは、そこに墓があることが史実とフィクションのあり方を考えるきっかけになるのではと思ったからである。さらにそのオプションとして、阪堺電車にも乗りたかったのだ(笑)。

 地元の子どもが「チン電」と呼ぶ路面電車で、恵美須町駅を出発し、目的地そばの御陵前駅へ。途中、乗り継ぎがあって40分ほど。駅からは歩いて5~6分のところに南宗寺はある。

 受付で拝観料を納め、ボランティアガイドとともに寺内へ。最初に見える坐雲亭は山内最古の建物で、元和9年(1623年)築。徳川秀忠と家光も立ち寄ったのだとか。次に進むと、堺出身で茶道と言えばの千利休の供養墓と武野紹鴎の墓が。狂歌師肖柏(牡丹花)と半井卜養(祖父と孫)の墓を通り過ぎると、徳川家康の墓が待ち受けている。

 堺には、江戸の初期に堺奉行(江戸幕府の遠国奉行の一つで、元禄9年/1696年に廃止)が置かれ、その赴任の際に秀忠と家光が寺を参詣。

 寺には「難波戦記」の原典の一つとも考えられる文書が伝わり、そこに先に挙げた家康の最期に関する文面が伝えられていること、そして東照宮本殿があったこと。やがて秀忠と家光は、家康が眠ることから、この寺を詣でたのだろうというあれこれが広まり、家康の墓につながったらしい。

 卵が先かニワトリが先かのような例でもあり、その経緯がどうやってフィクションを生んでいったのかを考えさせるヒントにもなり、なかなか興味深い。

 昭和42年(1967年)に東照宮跡地に再建された墓石には、三つ葉葵の御紋を頭に「東照宮徳川家康墓」とある。そのそばに建つ築地塀は、大坂夏の陣の際に焼けた堺の町の瓦が供養の意味で練り込まれているとのこと。江戸時代のSDGsもまた「難波戦記」に関する史跡の一つだ。

 重要文化財の仏殿は承応2年(1653年)再建で、中央仏壇上にはご本尊の釈迦如来像が安置され、天井には狩野信政による「八方睨みの龍」が描かれている。天井が他の寺に比べると地上に近い感があるので、龍の睨みに圧倒される。

 寺内は、撮影禁止なのが残念。訪れた日はまだまだ暑さが続く日で、近くにある仁徳天皇陵として知られる大仙陵古墳まで足を延ばすことはできなかったが、再び阪堺電車に乗り、涼を取りつつ、住吉大社へ。

 ここは「住吉踊り」の発祥の地。境内に掲げられた住吉踊りの扁額を眺めながら、今頃、浅草演芸ホールでは住吉踊りの真っ最中だなあと思いながら、帰りは天王寺駅に抜け、新世界で舌鼓を打ってから、「南陵忌」へと向かったのは先の通りである。

 暑く、疲れもしたが、『太閤記』と『難波戦記』の一面を見ることができて楽しい旅であった。

大蘇芳年『大坂軍記之内』(秋山武右衛門,国立国会図書館デジタルコレクション)