2026年9月の最前線 【後編】 (講談『太閤記』小考⑥ / 9月・10月のおススメ講談会)
「講談最前線」 第27回
- 講談
大坂で徳川家康を槍で討ったとされる、後藤又兵衛(『大坂軍記之内』より)
講談はいつも面白い。そして講談はいつも新しい――。講談の魅力って? 講談ってどこで聴けるの? どんな講釈師がどんな講談を読んでいるの?と、それにお応えするべく、注目したい講釈師や会の情報、そして聴講記……と、講談界の「今」を追い掛けていきます。
講談『太閤記』小考⑥(番外編:これぞ偉大なるフィクション! 徳川家康の墓を詣でた件)
前回、『太閤記』とフィクションのあり方について記したばかりだが、さっそく大河ドラマ『豊臣兄弟!』の演出と展開が物議を醸している。
第32話「賤ヶ岳の決闘」で、織田信長の忠臣とされ、賤ヶ岳の戦いでは秀吉方として参戦し、砦を守るも最後に討ち死にしたとされる中川清秀。ドラマでは彼が途中で裏切り、柴田側から寝返った前田利家に首を刎ねられたのは史実と異なると、清秀とゆかりのある自治体である大阪府茨木市と大分県竹田市から申し入れがあったというのだ。
さらにそれで終わりではなく、次の回の「北庄城の別れ」では、秀吉との攻防に敗れた柴田勝家とその妻お市の最期の場面が、二人して手をつなぎ、天守閣から身を投げるといった美化されかのような描写となり、勝家はお市の命を取ってから自刃したとされる史実とは異なり、武士に許された命の断ち方は切腹であるはずだという意見が。ほかにも城の構造に詳しい人からは、あそこから身を投じることはできないといった意見も見られた。
創作ドラマの一つとして見れば、例えば勝家とお市の場面に関しては、壮絶なストーリーの中での温かな終わり方といった演出としたかったのではないかという見方もできようが、歴史物語という観点からすると史実とかけ離れすぎると、やはり納得がいかないという意見が出るのも当然と言える。
だが、話の嘘は多分にあるもので、果たしてこれらをどう考えるか。フィクションを含んだ物語と、史実との相違を見比べる必要性と考証の意味。ある種、答えの出ることのない問題であるだけに、観る方、楽しむ方の楽しみ方のバランスもまた難しい。
それが『太閤記』であれば、再三示すように「矢矧橋」の段で、秀吉は誰と出会ったのかという問題提起にはじまり、当時はまだ橋自体が架けられておらず、話の嘘として、そこに橋があるからこそ、後々の出世譚が光っていくということもある。
8月に「南陵忌」に足を運んだことは、前編に記した通りだが、実は大阪へ旅した目的はもう一つあった。堺にある徳川家康の墓を詣でたかったのだ。「え?」という声が聞こえてきそうだが、それも無理はない。家康が久能山東照宮で眠っていることは周知の事実だからだ。
上方を中心に読まれてきた『難波戦記』によると、豊臣勢の難から逃れた家康は、輿(こし。駕籠という設定もある)に隠れて堺方面へと逃げるが、その途中で豊臣方の武将である後藤又兵衛と出会い、その槍に突かれ、堺の南宗寺で息絶えてしまう。
このあたりは秀吉贔屓の大坂人向けのストーリーとして、事実とは大いに異なるが、聴き手は嘘を承知で楽しんできた証拠の一つと言えよう。
手前勝手で落としどころのない持論ではあるが、話芸としての講談であれば、落語と同じように脚色があること。例えば、先に挙げた『難波戦記』がらみで言えば、『真田三代記』における猿飛佐助のように、歴史物語を舞台に活躍する、作り上げられた主人公が話を支え、それがエンターテインメントの一つとして楽しまれる要素になる。

しかし、歴史ドラマ、それも大河ドラマになると、やはり考証性が求められるのか、曲解であったり、実際にはいない狂言回しの登場などは許されない(ようだ)。
物語も終盤戦に入るが、まだまだ波乱が起こりそうな『豊臣兄弟!』。ますます目が離せない。