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2026年8月の最前線 【後編】 (聴講記:津の守講談会、田辺凌鶴の会 / 講談『太閤記』小考⑤)

「講談最前線」 第26回

講談『太閤記』小考⑤

オリジナリティについて考える

 普段、色々とお話しさせていただく講談大好きな知人が先日、「ここに来て『豊臣兄弟!』にオリジナリティが出てきましたね」と話していたのに、「相当前からオリジナリティの連続ですよ」と失礼ながらも返してしまった。

 この「オリジナリティ」をどう取るか。

 つまり「オリジナリティが出る」ということは、そこに原作であったり、元になるテキストがあるということでもある。そう考えた時、これまで考察してきた「豊臣秀吉人生記」の「オリジナルワーク/ピース」を何とするかを意識する必要があるなあと、発言後に考えた。

 ここでの二人の間の会話であれば、講談の『太閤記』が基軸にあるとしても良さそうだが、そうでないとしたら……。そうした危惧があることを意識しつつ、あえてあくまでも「講談太閤記」がベースにあると考えていくことにする。

 NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は言うまでもなく、『豊臣兄弟!』という作品である。したがって、そこには豊臣秀吉と弟秀長の史実を追い、これまで紹介してきた数々の『太閤記』の要素も取り入れていると考えてもよいだろう。

 ただし、注意しなければならないのは、あくまでも八津弘幸氏の脚本によるドラマであるということだ。

 NHK『豊臣兄弟!』HPにおいて、八津氏は冒頭で〈信長と弟・信勝のことを豊臣兄弟の表裏として描いていこう〉とした作品とし、そのインタビューの締めくくりとして〈歴史を描くうえでは、史実として変えてはいけない部分はしっかり守りながら、想像力を働かせられる部分は極力攻めようと思って書いています。これまで何度も描かれてきた時代だからこそ、『豊臣兄弟!』ならではのおもしろさをどう伝えられるか。今の人たちに楽しんでもらえるよう、新しい解釈を入れていきたいと思いながら書いています〉としている。

 これは何も新しいドラマや物語を生み出していくときに必要な姿勢ばかりでなく、講談という話芸にもあてはまることと言える。