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情熱に出会い、魂を語る 神田紅(中編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第45回

情熱に出会い、魂を語る 神田紅(中編)

神田紅の高座姿(神田紅・提供)

瀧口 雅仁

執筆者

瀧口 雅仁

執筆者プロフィール

恥辱を力に変えた先駆者

 日本近代女医の草分けである荻野吟子(おぎのぎんこ)は、1851年(嘉永4年)に武蔵国幡羅郡俵瀬村(現在の埼玉県熊谷市俵瀬)に生まれた。自分が病気になった時の体験から、女性の医者の必要性を痛感。苦難の道を歩みながら女医になることを決心した。

 東京女子師範学校に入学後、私立医学校の好寿院(こうじゅいん)に進むも、内務省の医術開業試験受験を拒否される。1884年(明治17年)と1885年(明治18年)の試験に合格し、女性では日本最初の医籍登録者となる。

 婦人運動にも関与して、婦人の地位向上に寄与し、1894年(明治27年)に二人目の夫である志方之善(しかたゆきよし)とともに北海道に渡り、瀬棚郡瀬棚(現在のせたな町)に開業。1908年(明治41年)に東京へ移り、小梅町で開業するも、1913年(大正2年)に没した。現在、埼玉県に「熊谷市立荻野吟子記念館」がある。

 荻野吟子を描いた小説に登場するのですが、婦人科治療を受けるために病院へ行って、いくら仕切りがあったとしても、男性医師の前で足を広げなくてはならない恥ずかしさがあった。

 私も20歳くらいの時に経験しているんですが、あれは屈辱以外のなにものでもない。だから私はいまだに婦人科は女医さんのところにしか行きません。

 吟子にしてみれば、ショックのあまり何も覚えていないけれど、その時の恥ずかしさがエネルギーとなる。その恥ずかしさは時代を超えても変わらないはずです。彼女に病をうつした夫はどうなのか。

 そういえば、うちの師匠も若い頃にかかったことがあるそうで、「紅君、僕は淋(さび)しい病気になったことがある」「師匠、男の人ってどうやって治すんですか」「サウナに入って、熱療法で治すんだ。汗をいっぱいかいてね、箱サウナに入って、何回か続けている間に治っちゃうんだよ」。男の人って簡単に治るんだなあと思いました(笑)。

 でも当時は女性の療治の方法はあまりよくわかっていなかった。タブーだったんですよ。このあたりもお医者さんに尋ねてみたいと思っています。

 何とかして、面白くしなければ!と、今、格闘しているところです。