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涼を装う

「二藍の文箱」 第15回

涼を装う

高座を降りてからも落語家でいたい(画:ひびのさなこ)

三遊亭 司

執筆者

三遊亭 司

執筆者プロフィール

 東武特急りょうもう号で、赤城へと向かっている。

 1日だけだが、真打に二ツ目、前座、色物といった、大仰に言えばわたしを座頭とした一座である。午前中から夏本番を思わせる上天気で、きょうあたりで梅雨も明けるのだろうか。

 仕事へはここのところ背広で行く。学生時代から半袖のドレスシャツが苦手で、夏場でも薄手のセーターを着ていることがあった。この夏はどうしたものかと思ったが、お世話になっているテーラーで、夏の装いの極意を伺い、したり、と、スーツでいることにした。

 「それはね、司さん。涼しげな顔をしていることですよ」

 手品のタネを聞けば、つねにそれは、なんということもない、カンタンなことだったりする。そのカンタンなタネを、では自然に出来ますか、と訊かれればそこが難しい。そこからが鍛錬、稽古ということになる。

 そういえば俳句の世界で「涼し」というのは夏の季題で、挨拶句によく使われる。いくらむかしといまとでは気候が違うと言っても、むかしだってやはり夏は暑いわけで、その暑さのなかにこそ涼を感じるわけだ。

 「あなた、そういうところが三木助師匠にそっくりね」

 入谷の鬼子母神、朝顔市で買った朝顔をぶら下げて、浴衣姿で楽屋入りすると、古いお囃子さんにそう言われた。それは多分に、キザで鼻持ちならないというニュアンスも含まれていたのだが、どんなことでも師匠に似ていると言われて、悪い気がする弟子はいない。そして、困ったことに、悪いところがよく似るのだ。

 落語会のシティボーイと囃された師匠三木助も、下町の噺家の子で──この際、田端が下町かどうかの議論は横に置いておくとして、さらにそういう、いかにも落語家らしい面もあった。

 やはり、浴衣や夏の薄物などは、体感はともかく、やはり、目に涼をもとめるものだ。他人に不快感を与えることを、ひたすら嫌悪する江戸っ子の末裔にとって、他人の目を喜ばせることは、逆もまた真なりであろう。