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涼を装う

「二藍の文箱」 第15回

 さて、服装のはなしに戻ると、そもそも前座の時からスーツでいることが多かった。スーツかジャージという極端な時代もあった。

 あれはまだ三木助の弟子だったころ、スーツ姿のわたしを見て「いまから銀座に連れて行けるのはこいつだけだな」と、歌司から指名を受けた。当時は師匠でもなく、後に師匠になるとは知るよしもないので、歌司師匠。そんな時代もあった。

 師匠歌司も高卒で落語家になり、同時に入門したのが先月書いた5歳年長の小歌師匠、このふたりが前座で歌二に歌一。「一」が「二」よりもあとから来るのは、歌二の名前が大師匠三代目圓歌の前座名「歌治」に由来するからで、ちなみにわたしがこの世界に入った時、「歌いち」はいまの歌橘師匠で、ことほど左様に、前座の名前は受け継がれることが多い。

 その歌二時代の師匠歌司。やはり一張羅の背広とシャツに、毎日のようにアイロンをかけていたそう。それを見て大師匠のおかみさんが、つれて歩けるのは歌二だけだね。と、つまりはわたしの「銀座云々」のはなしは、ここに由来する。

 だから弟子にも、いいものでなくていい、小綺麗でいなさいと言ってある。

 わたしはどちらかというと、それさえ苦手なのだが、落語家はしばしば私服で客前に出ることがある。18、19から大学を卒業して入門する人間がほとんどのせいか、割と売れていても私服は中学生の塾通いみたいな格好をしていたりする。もちろん、服が落語をするわけではないので、なんでもいいのだが、少し寂しい。落語家はわたしの憧れの商売だ。

 いつだったか落語会でお客さんをお見送りしていたのをご覧になった方から「私服姿の司さんをはじめて拝見し、あとから調べると、三木助さんと歌司さんのお弟子さんとあり、納得しました」と言われたことがあった。自分の服装のことというよりは、ふたりの師匠のその教え自体に、誇らしい気持ちになったものだ。