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第十三話 「誰のおかげで」
「令和らくご改造計画」
- 落語
絵:大熊2号
#1
落語という芸能には、閉鎖的な空気がある。
落語をまだ聴いたことのない人が、
「自分は落語を好きになれるのか」
「まったく興味を持てないのか」
それを判断することすら、案外難しいのである。
まず、いきなり寄席へ行くには、それなりの勇気がいる。なので本来ならば、初心者向けの公演が全国各地で定期的に開かれていてもよいはずである。
最近では、渋谷駅の近くで行われている「シブチカ落語鑑賞教室」のように、初めての方でも楽しめる公演も始まった。しかし東京でさえ、その一択しかない。 「初心者が安心して」を謳うイベントは、ほとんどゼロと言っても過言ではない。
では、インターネット上では落語を気軽に楽しめるのかというと、それも本当にそうではない。YouTubeを探せば、落語の動画自体は一応見つかる。
だが、現役の落語家たちが自ら意欲的に動画を公開している状況とは言いがたい。そのほとんどがテレビやDVDの違法アップロード。さらには客席から無断で録音したような音源。そんなものばかりなのである。
最近では、YouTuberのヒカルさんが落語へ挑戦したことで、普段インターネットをよく見る層が落語に興味を持つ機会も生まれた。本来なら、これは業界にとってかなり大きなチャンスである。
そのタイミングで「では、本物の落語家の落語も聴いてみよう」と思った人の目の前に、現役の落語家たちによる良質な動画が大量に並んでいれば、そのまま興味を深めてもらえたかもしれない。
しかし、実際にはそうなっていない。
また落語家たちはよく、「落語は生で聴くものだ」と言う。それ自体は間違っていない。生の高座には、映像では伝わらない空気がある。演者と客席が同じ場所で呼吸し、その場の一体感が生まれる。これは確かに、落語の大きな魅力だ。
だが問題は、その「生で聴く場所」までの動線を落語業界側が作れていないことである。知らないものを、いきなり生で見に行く人は少ない。
音楽でも、お笑いでも、まず無料で作品に触れ、その中から興味を持った人がライブ会場へ向かう。それが今のエンターテインメントでは、一般的な流れになった。無料で聞いた曲を気に入り、コンサートへ行く。動画で見た芸人を好きになり、劇場へ行く。
だから落語も、まず無料で見られる動画を増やさなければならない。少なくとも今の状況で新しい層を増やすためには、それ以外に大きな方法はないように思う。
#2
では、なぜ落語家は動画を公開しないのか。理由は、いくつかある。
まず撮影できる環境がない。落語は、誰もいない部屋でカメラに向かって喋れば、それで成立するものでもない。やはり、無観客で演じると盛り上がりに欠ける。落語動画として見せるのであれば、お笑いのライブ映像と同じように、実際のステージを撮影するのが一番よい。
しかし、その機会がほとんどない。撮影できる会場があったとしても、自分でカメラや三脚を用意し、音声も収録しなければならない。そういった機材を持っている落語家は少ないし、撮影や編集に詳しい人間となれば、さらに限られる。
主催者側が高座を撮影し、演者へ映像を渡すような試みも、今のところあまり見受けられない。まずは、そうした環境上の問題がある。
次に、必要性を感じていない落語家もいるだろう。
落語家というのは、世間的にはほとんど無名でも、それなりに仕事を持っている場合も多い。一般の方には名前を知られていなくても、寄席、ホール落語会や地域寄席、学校、その他の営業などへ呼ばれ、むしろ高所得層に入るような落語家はザラにいるのだ。そこがほかの業界と大きく違う。
そういう人からすれば、
「今のままで生活できているのだから、それ以上広げる必要はない」
となるのも、分からなくはない。落語という文化全体がどうなるかよりも、自分が今後も食べていけるかのほうが重要である。だから、わざわざ時間や手間をかけて動画を撮り、無料で公開することに魅力を感じない。
現状維持を求めているのかもしれない。