女性講釈師の歴史をたどる

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第47回

女性講釈師の歴史をたどる

現在の講談界を支えている宝井琴桜(右)と神田織音(左)。墨亭にて

瀧口 雅仁

執筆者

瀧口 雅仁

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女性講釈師はいつからいたのか

 かつては、男性の職業のように考えられ、一時期、衰退の道を歩んできたものの、息を吹き返した理由の一つに、当時の表現を使えば「女流」講釈師が増えてきたことが挙げられる。

 特に昭和から平成にかけた講談界に現れた女性講釈師が、それまでに見られなかった独自の目線で作り上げた新作(創作)講談や、その読み口がその時代を生きる人たちの注目を集めてきたのだ。

 だが、隆盛を誇る女性講釈師の歴史は、あまり知られていない。そこで今回、これまでの女性講釈師の流れをおさえてみた。とは言え未詳、不詳の点が多いことはご容赦願いたい。

 当ウェブでの女性講釈師インタビューもおかげさまで、これまでベテランから若手にいたるまで15人に話を聞き、昭和から平成、令和にかけての講談史の一側面とはいえども、現代講談界の歩んできた証言となすことができた。

 もはや「女性」という冠を付けるのも、時代的に考えて不必要とされる昨今、その数は令和8年9月現在で、東西合わせて59名。ちなみに東京だけを数えると、47士と言いたくなるような、講談にふさわしい人数が揃っている。当連載の目標は、まずは全員へのインタビューを行なうことなので、その数1/4を過ぎようというところだ(編集部のお許しが出ればだが)。

 以前、拙著『講談最前線』(彩流社)で女性講釈師の簡略史をまとめたが、今回はインタビューにあらずして、この場を借りて、近年判明したことを含め、改めて女性講釈師史を検証したい。

 実は、多くの講談史と同様に、女性講釈師の歴史もまたハッキリしない。昭和に入り、何名かいたことや、それを経て、宝井琴桜(たからいきんおう、昭和43年入門)、神田翠月(かんだすいげつ、昭和43年入門)、天の夕づる(てんのゆうづる、昭和44年入門)が登場した。

 そして衰退の道をたどりそうな時代に、田辺一鶴や二代目神田山陽が女性の講釈師を積極的に弟子に迎えたことで、それ以降の流れに繋がっていくことは間違いない。だが、それ以前となると不詳な点が多い。というか、ほとんど判然としない。

 やはり講釈の世界もそれまで男性中心の社会という傾向が強く、女性は生き残ることができなかったのか。また、落語界でかつて見られたように、結婚を機に……ということもあったのか。そのあたりさえ不明といったところなのだ。

 ちなみに天の夕づるは、例のポルノ講談騒動以降に結婚したことをきっかけに廃業している。