女性講釈師の歴史をたどる

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第47回

幽蘭が自ら語った講釈師人生

 その半生については、幽蘭自身が『講談研究』昭和28年9月号に証言を残しているので、少々長くなるが全文掲載してみる。

 細かいことであるが、ここで示す大阪三遊派は、「浪花三友派」とすべきであろう。初代桂文枝の没後、二代目を巡る跡目相続争いに敗れた二代目桂文都が一門を去り、月亭文都と改名。明治26年(1893年)に二代目曽呂利新左衛門、二代目桂文團治(七代目桂文治)らと、大阪は法善寺にあった紅梅亭を本拠とした流派のことである。

 また、ここに登場する「残月」は桂家残月のことで、新聞社や弁護士事務といった職業を転々とし、東京で二代目錦城斎一山の門に入門。残月楼菊水を名乗った後、大阪に移り、七代目桂文治の身内として桂家残月を名乗ったという、本荘幽蘭に似たような経歴を持っている芸人だ。

 さらに「妻吉」(つまきち)は、後に大石順教と名乗った尼僧で、17歳の時に大阪で起こった「堀江六人斬り事件」に巻き込まれ、両腕を切り落とされ、二代目三遊亭金馬一座で長唄などを披露した芸人でもある。若き日の高座の思い出を、同じ座にいた人気芸人の柳家金語楼との対談で残している。

 他にも注釈を入れなければならないところがあるが、今、追い掛けている件とは直接関係がないので省略する。