N氏の碑から浪江の海まで

「艶やかな不安の光沢」 第4回

N氏の碑から浪江の海まで

駆け抜けろ。振り返るな。

林家 彦三

執筆者

林家 彦三

執筆者プロフィール

 私はいま、長崎にいる。
 碧い海を見ながら、ひそかに、草稿を抱えている。

  

 こんな書き出しを起こして、もう半年になる。

 それから、少しあと。東北新幹線の乗車中に読んだJR東日本の車内サービス誌「トランヴェール」の特集が、相馬野馬追(そうまのまおい)であった。故郷を代表する神事であり、夏を先駆ける一大馬事である。今年こそは現地で参加したいと思った。

 五月初旬のことである。その頃、私は三冊の本を読んでいた。もっともそれは私の習慣で、一冊長い本を読みながら、もう二冊ほど、入れ替わり立ち替わり、読み進めていくのである。飽き性というわけではないが、その方が日々の読書が快活になるのである。

 基本の一冊としていたのは、スイスの国民的作家ゴットフリート・ケラーの『緑のハインリヒ』であった。これは独文科時代からちまちまと読み始め、長期中断し、その頃ようやく文庫で全四巻の最終巻に入ったところであった。

 その合間に、この大長篇読了に先駆けるかたちで私は同作家の『戀ぶみ濫用』(関泰祐 訳)という短篇集を読み終えていたのだが、その中に『もらった馬の口は見るな!』という一節があってはっとさせられたのが「トランヴェール」よりも前だったか、後だったか、ともかく、この注もなしに訳されてあった一文は〈もらいものには文句をつけるな〉という意味のドイツの慣用句で、私は現在も日常にしている独文学習の際にGaul(駄馬)という単語を愛用辞書で引いており、その例文としてこの表現をすでに見つけていたのであった。ふつうに読んでいたならば、よく分からなかっただろう。

 どちらにしても相馬野馬追に出向きたいとふと思ったその日から、どうやら私はまるで馬の世話役のようにこの動物に執心しているところがあった。同短篇集には「馬子にも衣裳」という作品があり、原題はKleider machen Leute(服は人をつくる)だから馬には関係ないのだが、読み返したりした。また午年にあやかり、地元の郷土玩具である三春駒(みはるこま)を買って部屋に恭しく飾ったりしていたのも、この頃である。同時期に、あるいは同時代に、複数冊読書もそうだが並行して何かを進めていくと、関係のない何かが結びつき始め、妙なつながりができ、並走し始めることがある。思えばその頃、よく「妾馬」をかけていた。がさつだが心意気うつくしい、男の出世噺である。

 もう二冊は、偶然にもどちらも噺家のそれぞれ別の先輩から勧められたものであった。

 一冊が色川武大(いろかわたけひろ)の『うらおもて人生録』で、これはほとんど「ライ麦」を思わせるくちぶりの若者向けの人生論であって――「愛し、愛される、ということを一応知ったならば、その次に、それは非常に大事なことなんだけど、だからといってそれですぐにトクをするなんて思わないでほしい。これはぜひ知ってほしい認識だな。認識というより、覚悟かな。愛するということにかぎらない。大事なことというものは、簡単に損得の形になって現れてこないもので、そう思う必要があるんだよ。矛盾しているように見えるけれども、そこのところをきっちりと摑んでおくのが、大きな人間になるひとつのコツだよ」なんていう一文には、泣かされた。あるいは当時、私は淀、川崎、南浦和、中山で惨敗してから競馬はもうやめると宣言をしていたから、すべてのギャンブラーの師たるこの人のお優しいお言葉に、こころ動かされたのかもしれない、と、ここでまた馬が出る。師曰く、「九勝六敗を狙え」。連勝続きも、アヤシイ。

 もう一冊は、梅崎春生(うめざきはるお)の『怠惰の美徳』(萩原魚雷 編)であった。これはとある師匠と上野の居酒屋でご一緒しているときに、おう、あれ、知ってるか、という具合に突然に教えてもらったのであった。その日、私はいささかグレていたのかもしれない。その師匠から、いわゆる、ご婦人の話を持ち掛けられたときに私は「いや、なんだか、幸せになることに、卑屈なのかもしれません」というような愚痴をこぼして、それはとくになんの意図もない軽い発言のつもりだったが、声を荒げながらその師匠は「おい、そんなことを言うな。お前は、偽のいんてりだ。にせもんだ。人はみんな、幸せになる権利が、あるんだよ。幸せを否定するような表現者は、ダメだ」というようなお叱りを真剣に受け、その言葉が帰り道も、ずきんずきんと、響いた。それでも別れ際にはチャップリン風の着崩れと足取りでその師匠と肩を組んで落涙に及ぶというわれわれの道化精神とは、つまり、落語家なりの知性というものがあるとするならば、それをそうして馬鹿と涙のなかに謙虚におさめる遊び心を言うのであった。

 そんな思い出のある本だが、これは馬鹿とは縁があっても馬とは無縁のようであった。しかし――「私は何ものの徒弟でもなかった。また私は徒党を組まなかった。曲がりなりにもひとりでに歩いて来た。今からも風に全身をさらして歩きつづける他はない」というような一文に私は、勝手ながら野生の馬のうつくしさを感じたりなどしていた。

 それから六月に入った。私の野馬追訪問の計画は、また夢のように立ち消えた。