女性講釈師の歴史をたどる

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第47回

講釈師という肩書きの謎

 幽蘭自身、講釈師として活動していたことを証言しており、師匠は持たず、また当時の仲間の名前を挙げている。

 交流があったという、田邊南龍、邑井貞吉、伊藤痴遊は、当時一流の講釈師であり、田邊南龍は幽蘭がこの文を寄せた「講談研究」の発行人である田辺南鶴の師匠である。その南龍は戦中には「教育講談師」として活動をし、また幽蘭が「學園」としている松平学円もまた、「通俗講演士」や「教育講談師」を名乗り、講演会で全国を回り、熱弁を奮っていた人物である。

 伊藤痴遊(初代)もまた、当時の自由党員であり、やはり演説が禁止されたことから講釈師に転向した。東京市会議員や衆議院議員を務め、「痴遊雑誌」を発行するといったジャーナリストの面を持った人物であった。幽蘭は、そうした活動の中で接点があったのだろう。

 最後に〈読物は教育的な新物ばかり。近く上京御訪ねします〉としているが、どんな作品を読んでいたのだろうか。晩年の動向も未詳で、田辺南鶴の元を結局訪ねたのかも不明であるが、謎多き人生において、こうした証言を残しているのは貴重である。

 晩年まで「講釈師」を肩書きにしていた幽蘭だが、その実態は不明な点が多く、今で言えば、かつ良く言えば、マルチプレイヤーであったのかも知れない。時代に乗って活躍を見せた「講釈師」というよりは、先に挙げた「講演師」に近い感じだろうか。

 だが、本人は「講談研究」に文章を寄せているように、その活躍は講釈師としてのものとしている。男性問題や金銭に関する話題で世を賑わせたニュースをいくつか残すも、我々がイメージする講釈師としての姿は見えてこないだけに、講釈師と呼ぶか、その判断は難しい。

 なお、現在の女性講釈師の道を作った、パイオニアというべき宝井琴桜が『本荘幽蘭』という講談を読んでいる。