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〈書評〉 はい、出前落語です 北の噺家=落語活動家の誕生 (東家夢助 著)

「芸人本書く派列伝 クラシック」 第17回

〈書評〉 はい、出前落語です 北の噺家=落語活動家の誕生 (東家夢助 著)
杉江 松恋

執筆者

杉江 松恋

執筆者プロフィール

五代目小さんに入門

 落語家ではなくて落語活動家と呼んだほうが似合っている気がする。

 東家夢助(あずまやゆめすけ)という人がいる。亭号は「東から歴史は明ける」の意で作られたものだそうだ。その夢助の『はい、出前落語です 北の噺家=落語活動家の誕生』(1986年刊、草の根出版会)が今回、取り上げる本である。

 2018(平成30)年に亡くなった夢助は、最近の言い方をすれば社会人落語家ということになるが、アマチュアとは言い難い立場の人である。東京の落語界で修業をし、二ツ目に昇進もしている。真打として一家を成すには至らなかったが、単に噺を覚えるだけではなく、行儀作法なども先輩から習得している。現在プロとして活動している落語家に聞いても、一応プロの資格はあった、と認めるのではないだろうか。

 本書は7章で構成されている。第1章の「わが幼き日」によれば、生まれは1940(昭和15)年9月22日、東京の聖路加病院で産声を上げた。やがて疎開して千葉県大網へ、戦争に敗れた後に帰京し、東京都港区立白金小学校に入る。

 港区白金台と言えば、高級住宅地で知られる。父親は日立製作所勤務、祖父は東京芝浦電機(現・東芝)の技師という家柄であった。しかも祖父は内村鑑三の弟子となり、キリスト教伝道の道を歩んだという硬骨漢だった。

 中学は明治学院に進学、試験は面接のみだったという。中高一貫校だったから高校受験もしていない。そのためついに生涯、筆記試験というものを受けずに終わった。実家が太く、金に不自由はしない。かつ進路選択で困ったことがない。そういう育ちだったことが、夢助の素地には影響しているように思う。本人も「ぼくはぬるま湯にひたって、いとも簡単に落語家になることをゆるされた」と書いている。

 第2章「落語家の道へ」を読んでも、本名・田中誠少年がなぜプロに弟子入りするほど落語好きになったのかは今一つよくわからない。キリスト教者の家に生まれ、通ったのもミッション・スクールである。牧師になる夢を抱いたこともあり、さらには弁護士になりたいと思った時期もあった。どこがどうなると、落語家という選択肢が出てくるのか。

 母親の出身校である専門学校の校長先生が「小さんさんの息子がうちの附属の幼稚園を卒業したから」紹介してあげると言ってくれて、何の問題もなく入門が叶った。後の人間国宝、五代目柳家小さんである。

 ちゃんと卒業することを条件として入門が叶ったのは、高校3年生の秋だった。直後に後の二代目柳家小三治(前座名・小たけ)、六代目柳家つば女(前座名・小助)が入門を直訴し、いずれも許されている。2人とも夢助と同じで、年が明けてからの入門となった。夢助は柳家栗の助となった。五代目小さんの前座名だ。