〈書評〉 ひつじ旅 落語家欧州紀行 (春風亭昇羊 著)
「芸人本書く派列伝 オルタナティブ」 第9回
- 落語
- Books
杉江 松恋
2026/01/17
観客一名、舞台はヨーロッパ
旅のいちいちについては、書かない。
昇羊は、着物で旅をしている。行ったのは7月なので、浴衣だ。あちこちで現地の人に話しかけられ、突然Instagramのアカウントを訊かれたりする。浴衣でウィーンを歩いている日本人は珍しかったのだろう。どこでも声をかけられるのだが、ドイツのケルン大聖堂に行ったときはそうではなかった。
みんなこの歴史的建築物を見るのに夢中で、着物の落語家がそこを歩いているという普段とは違う事態にまったく気づいていないのである。昇羊に同行していた画家の「平松さん」は、その様子を見て大笑いする。昇羊は「笑いすぎだろ」と思いつつも「同時に私は、私のことを面白がってもらえていることが嬉し」く「憤ったふり」をする。「そうすることでより悲劇的になり面白がってもらえると思った」からだ。
「おい、お前ら、誰も見てないってどういうことだよ。大聖堂はいつでも見られるけど俺は今日この瞬間だけしか見られねえんだぞ。もっと俺のことを見ろよ。落語家だぞ。着物を着た落語家だぞ。春風亭昇羊だぞ」
こういうところがくすくすと可笑しい。観客は「平松さん」一人だけなのだが、落語家としての振る舞いをしてみせているわけである。
オーストリアへの入国時、ウィーンでは男性職員に「日本から来たのですか」と訊かれ、「いえあぁ、あいむ、ふろむ。じゃぱん」と答える。すると職員は目を輝かせながら「ジャッキーチェンッッ」と言い続ける。「あちょー」と言いながら、酔拳のポーズまで始める。いいのか仕事は。
もちろんジャッキー・チェンは日本人ではないのだが、昇羊は「そう、有名な日本人といえばジャッキーだ」みたいなことを言い、やはり「あちょー」と言って酔拳のポーズをする。しかし。
――だが私は「あちょー」と言って見知らぬ人と酔拳のポーズをしてふざけあうことに慣れていなかった。また、ジャッキーが日本人でないことがばれたらどうしようという不安も抱いていた。そのせいで自分の笑顔が少し強張っているのを感じた。勝手に気まずくなり、話題を変えた。
ジャッキーが日本人ではないことがばれる心配をする、というのが可笑しい。昇羊は、こういう風に気を回すのである。自意識と外に出す態度・言葉の間に距離があり、冷静にそれを測っているようなところがある。ちょうど落語の口演において、演者がそのまま登場人物になり切るのではなく、地の部分を保ったまま第三者としても自分の演技を観察するように。
文体が落語になっているな、と思う。
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