NEW

シン・道楽亭、誕生前夜から今へと続くキャリー・ザット・ウェイト Part.3

月刊「シン・道楽亭コラム」 第13回

橋本さん亡き後に立ちはだかった超大型の壁

 共同席亭という言葉を思いつき、橋本さんと1回目の面談を済ませたものの、その2日後に橋本さんが急死し、私は途方に暮れた。

 橋本さんから運営に関する話をこれ以上聞けなくなってしまったことは判断材料の決定的な不足を意味し、橋本さんの話を参考にして道楽亭を引き継ぐ(と便宜的に使います)かどうかを決めようと思っていた私に、状況は『進撃の巨人』でも超えにくい壁として立ちはだかった。自力で打開策を見出すことはできるのだろうか。

 まずは、初七日を迎えるまでは一切の表立った動きをやめることに決めた。

 その段階での私の、引き継ぎたい確率は30%程度だった。前のめりでもなく、乗り気でもなかった。心のどこかに、橋本さんの死を理由に、引き継ぎ話から撤退してもいいかなという可能性をちょっぴり考えたこともあった。

 一方で、長年、取材記者として稼働してきた私には、「これは私のネタだ」「私がつかんだネタだ」という思いが強かったのも事実。私が手放すことによって、他の誰かのネタになることはよしとできないし、私がこの先、どのような形で運営しようとも、自分のネタとしてきちんと仕上げるんだ、という漠然とした思いが芽生えてもいた。

 演芸の世界で何かを仕掛ける際、その判断の良し悪しを図るためのリトマス試験紙が私にはあった。メディア関係者X氏の存在だ。道楽亭の話について、確か橋本さんに面談する前に、X氏には耳打ちしていた。

 「道楽亭を継ぐかどうか、っていう話があってね」
 「ねいきゅうさんがやるなら、乗りますよ」

 最初と最後の会話の間には、もろもろのあれこれがあったが、思い切り端折るとこんなやり取り。私の中では当初から自分一人ではどうにもならない、背負うものが重すぎる、という感覚があったということだ。

 X氏の言質を得て、「シン・道楽亭プロジェクト」(当時はそんな名称はなかったが)は催行が決定した。