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ちりとてちん、 富久、 百年目

「オチ研究会 なぜこのサゲは受けるのか?」 第十九回

五十六席目 富久 (とみきゅう) ★★

[ワンポイント]
江戸時代の「富くじ」は、庶民にとって一攫千金を夢見る数少ない機会だった。酒で仕事を失った幇間も、その夢にすがる一人である。なけなしの金を投じ、神様に祈る幇間を待ち受けるのは幸運か、それとも災難か。

◆【あらすじ】

 浅草の長屋に住む幇間の久蔵(きゅうぞう)は、酒の上での失敗が重なり、江戸中の客をしくじって仕事がなく、貧乏暮らしをしている。

 そんな中、知り合いから富くじを買わないかと誘われる。一等が当たれば千両と聞いた久蔵は、なけなしの一分(いちぶ)で「鶴の千五百番」の札を買い、神棚に供えると「大神宮様、どうかお願いします」と必死にお祈りをする。

 その晩、芝(現在の東京都港区周辺)のほうで火事が出て半鐘が鳴り響く。近所の者が「確か久蔵がしくじった大旦那があの辺りに住んでた。火事見舞いに行けば、しくじりが許されるんじゃないか」と寝ていた久蔵を起こすと、久蔵は慌てて芝に駆け付け、期待した通りに旦那は喜び、出入りを許してもらえる。

 火事は無事に消え、久蔵は店に来る見舞い客に応対し、帳面をつける。ところが客が持ってきた酒に目がくらみ、どうしても呑みたくなる。旦那に頼み込み、「深酒はするな」と言われ、呑むことを許可されるが、やはりそうはいかない。泥酔した久蔵は寝てしまう。

 そこへまた火事を告げる半鐘が鳴る。どうやら火事は久蔵が住む浅草あたりらしいとわかり、起こされた久蔵は急いで長屋に戻るが、家は全焼して跡形もなくなっていた。仕方なく店に戻る久蔵に同情した旦那は、生活が整うまでは居候(いそうろう)として置くことにする。

 数日後、久蔵が八幡様(はちまんさま)の前を通ると、富くじの抽選会をやっている。「鶴の千五百番」を買っていたことを思い出し、千両の当たり番号を聞くと、なんと「鶴の千五百番」だった。「当たった当たった」と喜ぶ久蔵が換金しようとするが、札がないとできないという。札は火事で焼けてしまったのだ。

 泣く泣く帰る道すがら、顔馴染みの鳶頭(かしら)に会う。鳶頭が久蔵に「火事の時に、布団などの生活道具は出した。大神宮様のお宮(神棚)も一緒に、自分の家に置いてある」と言うと……

◆【オチ】

 久蔵は、半狂乱で鳶頭の家に走って行く。そして神棚を開けると、富くじの当たり札が入っていた。

久蔵 「これも大神宮様のおかげ。方々に『おはらい』をいたします」

◆【解説】


 大神宮は伊勢神宮のことで、これを祀った神棚のある家には、昔は年末になると伊勢神宮から使いが来てお祓いをしてくれたそうだ。その「お祓い」と、借金の「お払い」をかけたオチである。枕でこのお伊勢信仰の話をする場合が多い。

 今でこそ、神棚のない家も多いが、昔は貧乏な長屋でも神棚のある家が多かったようだ。特に、芸人や水商売の人が大神宮様を信仰したそうだ。久蔵の住む場所、大旦那の住む場所、富くじの抽選をしている場所と富くじの番号などは、演者によって違う。上記の「あらすじ」では筆者のバージョンで記した。

 さて、この『富久』は、江戸落語では最高峰の噺だと思う。長い噺だというのはもちろん、登場人物の多さ、場面の多さ、時系列、一つの噺の中にとにかく要素が多い。さらに寒さ、火事、酒なども入ってくる。やる方も聴く方も体力のいる噺だと思う。それだけに、やり甲斐のある噺だ。

 『カイジ』という漫画がある。借金を抱えた主人公が一発逆転を狙って様々なゲームに参加するというもの。『富久』はまさに『カイジ』だと思う。お金のない久蔵が、働くことをせずに富くじで一攫千金を狙うのである。富くじは一分。一分は一両の1/4。レートは時代によって違うが、だいたい1万円~2万5千円くらい。現在の宝くじと違って明らかに高い。

 だけど、当たれば数億円。なけなしの一分で買って大神宮様のお宮にお供えし、手を合わせる。こんな一発逆転は起こるはずもないと思うのだが、お祈りをする久蔵は本気で信じているのだ。そして、火事で家が全焼してしまった後で一転して、富くじが当たったことを知る。心の動きが忙しい噺だ。