NEW

2026年10月の最前線 【後編】 (佐渡で講談を想う / 連続物の面白さを味わう)

「講談最前線」 第30回

2026年10月の最前線 【後編】 (佐渡で講談を想う / 連続物の面白さを味わう)

お光は、たらい舟を操り、対岸の新潟へ(矢島にて)

瀧口 雅仁

執筆者

瀧口 雅仁

執筆者プロフィール

 講談はいつも面白い。そして講談はいつも新しい――。講談の魅力って? 講談ってどこで聴けるの? どんな講釈師がどんな講談を読んでいるの?と、それにお応えするべく、注目したい講釈師や会の情報、そして聴講記……と、講談界の「今」を追い掛けていきます。

佐渡で講談を想う ~2026年夏の佐渡日誌

●海を渡る恋、語り継がれる人情

 遅めの夏休みを今年もとり、新潟県の佐渡島へ旅をしてきた。

 特にあてもなく、思い付いての気ままドライブ。一棟貸しの宿に泊まれば、隣家のおじさまが「東京から来たのか。佐渡っていっても、金山見て、トキに会いに行って、たらい舟に乗ったら終わりだ」。その通りだったとしたら、佐渡の方へ失礼だが、佐渡はあちこち慌ただしく動く地ではなく、ノンビリしに行くところだ。

 ここで一句。

 島の南と言えばいいか、矢島(やじま)というところがある。佐渡の代表的な観光名所である、たらい舟に乗れる場所は三ヶ所。中でも個人的には、矢島のたらい舟が一番風情あると思っている。矢島の名の由来は、源頼政(みなもとのよりまさ)が鵺(ぬえ)退治の際に使った矢を作った竹がここのものであったとか。講談で言えば、『源平盛衰記』に登場する源三位頼政が番えた矢だ。

 そのたらい舟乗り場の近くに、「お光の碑」が建つ。浪曲師、寿々木米若(すずきよねわか)の十八番『佐渡情話』の主人公である、たらい舟を操っていたお光の碑だ。

 越後国柏崎の吾作は漁に出て遭難し、佐渡で暮らす茂平とお光の親子に助けられる。吾作はお光と夫婦約束をして柏崎に帰るが、吾作を恋しく思うお光は、たらい舟に乗って柏崎へ通う。

 ところがお光に横恋慕する七之助が舟を壊し、それがもとで吾作の子を身籠っているお光は健康を害し、日蓮上人(にちれんしょうにん)の祈祷で元気になるも……。という、佐渡に伝わる『佐渡おけさ』をもとに米若が創作した浪曲とされる。

 そんな『佐渡情話』と言えば、やはり浪曲で、講談でも読めないことはないが、途中のアンコで聴かせる「佐渡おけさ」が作品をより彩るだけに……ではあるが、最近は講談の中で唄う演者もいるので、講談で聴く『佐渡情話』があってもいいし、聴いてみたい。

 「お光の碑」の近くにはまた、日蓮とゆかりの深い人物である日朗上人(にちろうしょうにん)の碑も建つ。日蓮が佐渡へ流された際に、再三、赦免状を手にして、佐渡に渡った日朗上人。『日蓮上人記』は今は演者は多くないが、講談でも読まれる代表的な演目である。

●与三郎が挑んだ、命懸けの脱出劇

 佐渡金山に舟とくれば、『お富与三郎』で与三郎が島送りにされたのが佐渡島だ。美人局(つつもたせ)の罪でお富は入牢し、与三郎は佐渡へと島流しになって、金山の水掻き人足となる。過酷な労働と粗末な食事であること、そして何よりもお富に会いたいという思いが募り、大雨大風の日に島抜けを決行する。

 島を抜け出した与三郎は、越後の柏崎の鯨波(くじらなみ)に上がり、江戸へと向かう。聞けば佐渡島と新潟間の最短距離は約30km。今回、往復に使った佐渡汽船のカーフェリーは、新潟港と両津港の間約80kmを時速35kmで約2時間半。海は広いし大きいし、時化(しけ)の日に泳いで対岸にたどり着いたというのは、フィクション過ぎやしないか!云々は問わないことにする。『佐渡情話』のお光だって、柏崎までの日本海をたらい舟で渡ったのだ。人の情念は現実を超えることだってあるのだ。

 この話、初代の菅良助(かんりょうすけ、のちに乾坤坊良斎)の作とされ、講釈では一立斎文車(いちりゅうさいぶんしゃ)が得意にし、近年では一龍斎貞寿が連続で挑んだ。