NEW

あふれる情熱と笑顔 神田鯉花(前編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」第4回

あふれる情熱と笑顔 神田鯉花(前編)

神田鯉花近影(墨亭・提供)

瀧口 雅仁

執筆者

瀧口 雅仁

執筆者プロフィール

講談会通いと師匠との出会い

 人間国宝・神田松鯉の弟子として、積極的に連続講談に挑み、今年(2025年)は映画の主演を見事に務めた神田鯉花。いつも元気で明るい高座が魅力だが、どんな毎日を過ごし、講談について考えているのか。そしてどんなことに今後臨んでいきたいのかを尋ねてみた。

鯉花 なんというか、喜怒哀楽の激しい子どもでした。落ち込む時はすごく落ち込んで、ヘラヘラしている時は、ずっとヘラヘラしているような。ダンスを習っていて、それが楽しかったのと、絵を描くのが好きなので、何かと絵を描いていました。それにマクラでもよく話しますが、日向ぼっこになりたいくらい、日向ぼっこをしていたのと、昼寝が好きでした。

鯉花 両親とも共働きだったので、ばあちゃんっ子で、困ったことがあるとすぐにばあちゃん。ご飯を食べに行ったり、何かあると「ばあちゃん!」って、私にとっての救いであって、大好きな味方でした。

鯉花 大学を出てから、カラオケ店やチラシ配りをしたりと、職を転々として、居酒屋でバイトをしていたんです。そこである時、お客さんから「講談、知らないの?」って言われたことに頭に来て、それで講談を聴きに行ったんです。

鯉花 (笑)。何度も講談会に通って講談を聴きました。伯山兄さんは売れてはいましたが、まだ席が案外とれる頃、深夜帯のバイトだったので、出勤前に行ったり、バイト終わりに仮眠してから上野広小路亭に行ったり、ほぼ寝ずに行ってました(笑)。でもお客さんはちゃんと寝てから行ってくださいね。身体壊しちゃいますから(笑)。色々な講談会に行く内に、師匠の『笹川の花会』を聴いて、入門を決意しました。

鯉花 「取らないよ」と言われました。それでも「弟子にしてください」と食い下がっていたら、「あとは鯉栄が聞くから」と池袋演芸場の上の喫茶店で話を聞いてもらいました。自分の洗いざらいを話したら、鯉栄姉さんが太鼓判を押してくれて、後日、姉さんから電話があって、師匠に挨拶をして、入門が決まりました。2018年の9月の末のことでした。10月1日に名前をいただきました。