堀の内、 時そば、 看板のピン

「オチ研究会 なぜこのサゲは受けるのか?」 第11回

堀の内、 時そば、 看板のピン

看板のピン(画:おかめ家ゆうこ)

林家 はな平

執筆者

林家 はな平

執筆者プロフィール

奥深い「オチ」の世界

 落語には、「オチ(落ち)」があり、そこにはいろいろな仕掛けや工夫が込められています。本連載では、〈演じる側の視点〉から、筆者なりにオチのタイプを★★★で分類し、[あらすじ][オチ][解説]の順に紹介します(の数は、第1回をご参照ください)。

 第11回は、堀之内時そば★★看板のピン★★★のオチを紐解きます。

三十一席目 堀之内 (ほりのうち) 

[ワンポイント]
物語は単純。そそっかしい男が出かけて、次々と失敗するだけ。だがこの噺は、その失敗をどこまで本当に見せられるかが、落語家の腕。やり過ぎれば嘘になる、絶妙な加減が試される噺だ。

【あらすじ】

 あわて者の男が自分の粗忽(そこつ)な性格を直そうと、堀の内のお祖師様(おそしさま:現在も杉並区にある日蓮宗本山 妙法寺)へお参りに行く。

 道を間違えたり、自分の行く先を人に尋ねたりと、なんとかお祖師様へ着くが、賽銭箱(さいせんばこ)に財布ごと入れる始末。弁当を出そうとすると、女房の腰巻きや枕が出て来る。腹を立てて家に帰ると、そこは隣の家。

 やがて女房に頼まれ、息子の金坊を湯屋(ゆや:江戸時代の銭湯)へ連れて行くことになるが……

【オチ】

 湯屋に行ってもあわてぶりは健在で、知らない子どもの着物を脱がせたり、湯に入って人の尻を掻いたりする。それでも気を取り直して、金坊の背中を洗うが、どこまでいっても背中が続く。

金坊 「やだなぁ、お父っつぁん。お湯屋の羽目板(はめいた:壁や天井に貼る板)洗ってらぁ」

【解説】

 
 この噺が(一ツ星)なのは、オチの種類が多く、決まったものがないからである。つまり、オチよりも噺全体の方が大事だからだ。

 普段はあまり使うことはないが、落語ではあわて者や、そそっかしい人を「粗忽者」と呼ぶ。現代に置き換えるなら「天然な人」になるかもしれない。マイペースで世間と少しズレがある人の行動は、いつの時代も可笑しい。

 味噌汁で顔を洗って、猫で拭いたり、お賽銭箱に財布ごと入れたり、“ズレている”では済まされない行動が連続するが、これを笑いにするには演者の技量が試される。「そんな人いない」とお客様に思われた瞬間、ウケなくなる。そうなったら、かなりキツイ。終始ウケない、最初から最後までウケない高座を何度も見ている。

 とても変な行動をしているけど、『この主人公ならやっちゃうかもな』と、お客様に思わせなければいけない。それを最後まで持続させなきゃいけない。それがとても難しいのだ。

 この噺を得意にしている噺家は、相当に腕があると思う。あの古今亭志ん朝師匠の十八番でもあった。私も前座の頃にやったっきりで、めっきりやらなくなったので、また手がけたい噺である。