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浦安の風が吹いている

「浪曲案内 連続読み」 第11回

浦安亭に響いた名人たちの声

 博物館の企画展示の目玉は、浦安亭を再現した模型。舞台や二階席の様子もよくわかります。二階席は板敷きだったようですね。

 講談、落語、漫才、歌謡、映画など、様々な興行が行われました。歌手のオカッパルこと岡晴夫さんは、浦安亭との出会いからスター街道まっしぐら。しかし、なんといっても人気があったのは、浪花節、浪曲です。浦安亭に入る路地の手前にある境橋のたもとには出演者の幟が立てられました。

 威勢がよくて歯切れがよい、関東節の演者の方がウケたようです。初代東家浦太郎の出演日誌を元に発行された『東家浦太郎 関東節ひとすじ』に浦安亭について書かれています。

 初代浦太郎、最初の浦安亭出演は、昭和11年(1936年)5月15日、16歳の時。演目は「銚子の五郎蔵」。翌年12月15日には、師匠の東家楽浦(あずまやらくうら)トリの日に出演。それから昭和31年(1956年)まで18回の出演記録があります。演目は「神田松」「紋三郎の秀」など、そしてやはり「野狐三次」が好まれたようです。

 記録は欠落していますが、おそらくもっと浦安亭の舞台に立っていたと思います。出演日記を残してくれた初代浦太郎師匠、編集された芝清之先生は偉い! 浦安亭を語る貴重な資料となりました。

 七色の声で一世を風靡しました二代目天中軒雲月改め伊丹秀子先生が、浦安亭の舞台で熱演していると、まだ一歳くらいの娘、永田とよ子さん(三代目雲月、のちに歌手に転向)が楽屋でお腹を空かせ、ピーピーピーピー泣き出すと、新婚ほやほやの竹松さんの奥さんが我が子同様に、とよ子さんにお乳をあげたということです。