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〈書評〉 愛し、愛され。 (毒蝮三太夫・玉袋筋太郎 著)

「芸人本書く派列伝 オルタナティブ」 第12回

〈書評〉 愛し、愛され。 (毒蝮三太夫・玉袋筋太郎 著)
杉江 松恋

執筆者

杉江 松恋

執筆者プロフィール

異色の入門者たち・立川流Bコース

 先日、立川談志最後の直弟子であった立川談吉が真打昇進、立川談寛(たてかわだんかん)を襲名した。

 談寛は字面こそ違うが、ダンカンと音は同じである。ご存じのとおりビートたけし門下のダンカンは、元立川流前座だった過去がある。落語立川流が発足した後は、そのままダンカンを名乗って立川流Bコースに所属していた時期もあり、移籍が円満なものであったことを物語っている。

 本ウェブをご覧の方の中で、Bコースをご存じない方はまさかいらっしゃらないと思うが、一応説明する。立川談志は師匠である五代目柳家小さん門下を抜け、落語協会を脱退した後の1983(昭和58)年に自らの弟子を率いて落語立川流を創設した。その際、他ジャンルの著名人や、一般人でも会費を支払う意志があって談志が認めた者は、それぞれBコース、Cコースとして落語立川流への所属を認めた。元からの弟子、つまり落語を本業とする者はAコースである。

 Bコースができたとき、ビートたけしと高田文夫が連れ立って入門し、それぞれ立川錦之助(たてかわきんのすけ)、立川藤志楼(たてかわとうしろう)を名乗ったことは対外的に大きな話題になった。このように、面白がってBコースに入った談志の友人や知人が、初期落語立川流の宣伝塔になったのである。元Aコースのダンカンも新しい師匠であるビートたけしと肩を並べてBコース入門を果たした。立川談寛の誕生は、Bコースの名前を字面こそ違うがAコースの落語家が継ぐという、初めてのケースでもある。

 日大芸術学部落研の出身者である立川藤志楼は、話題を提供するだけでは飽き足らず、落語に真剣に取り組んで、Bコース初の真打となった。東京・新宿の紀伊國屋ホールで独演会まで開いており、その速記が『立川藤志楼爆笑落語選集』(太田出版)として刊行されているのだから立派である。1990年代の初頭、落語界を立川藤志楼が牽引した時期が短いながらも確かにあった。