〈書評〉 現代語訳 風姿花伝・三道 (世阿弥 著・岡田利規 訳)
「芸人本書く派列伝 クラシック」 第11回
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杉江 松恋
2026/03/29
世阿弥が考案した観客の心を掴むノウハウ
――こんなときは、開演を遅らせて会場が静まるのを待つ。するとパフォーマンスの開始を待ちかねたオーディエンスの心がやがてひとつになり、「まだ始まらないのか?」とみなが一斉に楽屋のほうを見る。そのタイミングを見計らって登場し、一声を上げるのです。すると会場全体がたちまちパフォーマンスに魅了され、誰も彼もがパフォーマーの一挙手一投足に没入し、いいヴァイブスに充ちてきます。
なんと実用的。また、最初の演目のときは遅刻してくるような者もいて会場に能を味わうモードがまだ醸成されていないだろうから、「こんなときは、最初の演目の出演者は役を演じる際の身振りを普段のパフォーマンスよりも大袈裟にし、発声も強めにし、足踏みをする際の足もいつもより高くまで上げて、その立ち居振る舞いが帯びる雰囲気を観客に注目してもら」うのがいいだろうとも世阿弥は書く。これは寄席における前座の役割ではないか。
こうした具合で、どうすれば観客の心を掴んで、能空間を現出させられるかが説かれているのである。
役柄を演じる、ということについては「似せない境地」というものがあると書かれる。その役になりきってしまったら、なりきろうという心がけそのものが消えてしまうということだ。そのために必要なのは「十体(じったい)」、つまりあらゆるタイプの演目をマスターするように修業することであるという。
これだけだと精神論のように聞こえると思うが、同じ章の中で老人役をいかに演じるか、ということについて触れた箇所を引用したい。舞踏表現とは、音楽の拍子に合わせて振り付けを行うことであるが。
――それが年寄りになると、所作が太鼓・歌・鼓のここぞというタイミングからわずかながらも遅れて出るようになっていくものだ。このわずかな遅延がパフォーマンスにもたらす独特の風情。これこそが年寄りを演じる際の依拠すべき基準である。この遅延性だけをしっかりと意識して、それ以外の点はあくまでも普通に、できるだけ華やかに演じることを心がけるとよい。大抵の年寄りは若々しくありたいと思っているものだ。[……]この、気持ちと身体のあいだに横たわる速度のギャップこそが老人の本質である。
おお、またも実用的。このへんの裏付けの理論があって具体的な感じは、落語における柳派の「狸をやるときは狸の気持ちになってやれ」にも通じるものがあると私は思った。
細部を紹介しだすと、あちこち引用してしまいたくなる本である。実際に読んでもらいたいのでほどほどにしておくが、〈花〉については書いておかなければならない。『風姿花伝』という題名が示すとおり、演者にとっての〈花〉とは何か、ということが本書の主題である。世阿弥は、この本を一子相伝(いっしそうでん)の秘儀書であると断っている。〈花〉は、それほどまでに重要な教えだったということだろう。
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