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〈書評〉 役者の落語はお父さんのカレー (小宮孝泰 著)

「芸人本書く派列伝 オルタナティブ」 第17回

落語を芝居にする難しさ

 小宮は、本書で役者落語を世間に認めさせようとしているわけではない。

 好きが高じての道楽であることを認めており、「役者落語という視点からはこういうことが見える」、「それまでにあまりなかった角度から検討したところ、落語にはこういう性質が備わっていると言えるのではないか」という発見を綴ることに徹している。その誠実さには、アマチュア落語に否定的な立場の方でも耳を傾けたくなるはずだ。

 私が面白いと感じたのは第4章で、ここでは舞台化された落語の問題点について、かなり踏み込んだ形で書かれている。例をいくつか挙げておきたい。

 章の最初に紹介されているのは、「宿屋の仇討」を題材とした公演だ。劇団名などは記されていない。上方旅から帰ってきた3人組が、明日は江戸に帰るという嬉しさから宿屋で夜にはしゃぎまわる。隣室の侍はそのせいで眠ることができずにイライラし、番頭の伊八(いはち)を呼びつける、という2ヵ所の同時進行で語られる噺だ。

 小宮はこの噺の肝を、町人と侍の場面を「切り替えるタイミングとシャープさ」だとする。演出家はその点を理解できず、全場面を同時進行、つまり町人と侍の部屋の両方に照明が当たった状態で保とうとしたというのである。あまつさえ、イライラが募った侍は、柱をのこぎりで切ろうとまでする。

 「舞台に出ているからにはなんとか目立たなくてはいけないという自己承認欲求が演劇のモラルを上回ってしまった」と厳しい。小宮曰く「演劇、特に喜劇では、舞台上でまるで存在しないかのように目立たないことも役者に必要」「狙い通りの小気味いい大きな笑いでウケるためには、その前に小さなボケやギャグは不要なのです」。