天国からの「それ、おもろいわ!」

「ピン芸人・服部拓也のエンタメを抱きしめて」 第16回

忘れられない最高の先輩

 私個人の身体的・精神的苦痛だったらいい。

 2026年9月7日。昔、所属していた事務所「オフィス北野」(現・株式会社TAP)の先輩、グレート義太夫さんが亡くなった。

 私は、2014年(平成26年)にオフィス北野への所属を目指し、「フライデーナイトライブ」という事務所ライブに出ていた。プチ鹿島さん、マキタスポーツさん、米粒写経さんなど先輩芸人多数の中、たけし軍団の中で唯一、コンスタントに義太夫さんが出演されていた。

 トーク企画では若手と絡み、師匠ゆずりの「ビートたけしイズム」を感じさせる毒っ気全開のネタを披露されることもあり、鋭く面白く、お笑いや演芸が大好きで、若手を見守り、何より優しい大先輩だった。

 最後に共演させていただいたのは、私がまだ「シルキーライン」というコンビで活動していた2020(令和2年)年6月17日のお笑いライブ。まだ少しコロナ禍だった。久々の共演でも優しく、後日、義太夫さんのブログでネタを褒めていただいた。変わらず観てくれていた。

▼3ヶ月ぶり…。(グレート義太夫オフィシャルブログ)

 いろんな方のSNSには、義太夫さんに対して「どんな現場でもみんなに優しくて面白い芸人だった」という声が溢れていた。葬儀の記事を見たが、たけし軍団の皆さんや親しい関係者が集まって、出棺の際に「義太夫が焼豚を食べたかったから」と、葬儀場の方に確認を取り、生肉を棺に入れて最後の仕上げをしたそうだ。

 ヤバすぎるだろ!(笑)。

 一般的には、常軌を逸していて不謹慎かもしれないが、芸人としては最高の送り出し方だと思う。最後まで面白く、ネタになればよい。義太夫さんの棺の前で、当然涙を流したであろう軍団の皆さんたちが笑ってる写真にはグッと来た(焼豚も添えられていた)。

▼ラッシャー板前さんのInstagram

 義太夫さんは糖尿病を患い、人工透析を受けながら舞台に立ち続けた。若手時代には、テレビの企画などで、ビールジョッキにガムシロップを入れ、一気飲みをしたりしていたらしい。糖尿病を発症した際に「発症は労災」と、病気すらネタにしていた。落語をやる際は、師匠が提案した、「夏目亭透析」という自虐満載の名前で舞台に上がっていた。

 義太夫さんの葬儀の直後、私がお世話になっている東新宿カフェコマドで、(談吉改め)立川談寛師匠、落語作家のナツノカモさん、当日発表のシークレットゲストを交えた「カモ先生と談寛師匠のトークライブ」が開催された。

 この日のゲストは、まさかの米粒写経、サンキュータツオさん! タツオさんもかつてオフィス北野に所属しており、優しかった義太夫さんの思い出や、痛快かつ面白い話が繰り広げられた。

 私が興味深かったのは、襲名の話。談寛師匠が襲名にあたって、面識のなかったたけし軍団のダンカンさんの許諾を頂くため、ナツノカモさんとタツオさんに相談し、タツオさんが義太夫さんに相談し、義太夫さんが同じ軍団のダンカンさんに確認を取り、無事、襲名が実現したという。

 みんなは、話がまとまるまで時間が掛かると思っていたが、義太夫さんのムーブのおかげでわずか数時間で話がまとまったらしい。“人つなぎ義太夫”イリュージョン! 義太夫さんがいなかったら、もしかしたら「立川談寛」という名前は誕生しなかったかもしれない。そんな人と人をつなぐことも、たくさんされてきたレジェンド。

 音楽活動もされており、本当に器用。「フライデーナイトライブ」の最終回で、義太夫さんが歌った「浅草キッド」を私はずっと忘れない。

 生き様すらも全部ネタにする、私が思う最強の芸人。本当に本当に最高の先輩。私は、迷いながらも活動を続け、そんな先輩方のもとで学んだことを誇りに思う。

 義太夫さん、ありがとうございました!