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2026年6月の最前線 【前編】 (年季明け! 旭堂左燕インタビュー)

「講談最前線」 第20回

左燕 もともと三重県出身ですが、中学2年の時に母の実家がある千葉に引っ越し、東京の大学に通っていました。会社の就職先が名古屋で、その後、大阪に異動となり、それからまた名古屋に戻ってきました。

 東京と大阪の寄席や演芸場にも通いましたが、名古屋に戻って来てからは、大須演芸場はもちろん、葵寄席や赤門28寄席などの地元の演芸会にも行ってみて、自分でもやってみたくなったんです。それでコロナの頃だったので、仕事を続けながら旭堂南湖先生のオンライン講座に通って、それで火が着きました(笑)。

左燕 五代目、六代目の宝井馬琴(たからいばきん)先生、小金井芦州(こがねいろしゅう)先生、一龍斎貞水(いちりゅうさいていすい)先生、宝井琴柳(たからいきんりゅう)先生といった修羅場(しゅらば)の読める先生に憧れて、私も修羅場ができる講釈師になりたかったんです。講談の原点は修羅場にあるからいい!と思っています。そうした先生の芸は唯一無二の芸ですし、自分がそこまでいけるかわかりませんが、目指していきたい。

 そんな時に、うちの師匠の修羅場を聴いて、この人に!と思ったんです。師匠のことは名古屋在住の落語家の師匠に紹介してもらいました。8月に大須観音の鳥居のところで師匠をお待ちしていたら、半袖短パンの師匠が歩いてきて、お願いをしたら、「喫茶店行くぞ!」。そこでコーヒーを飲んで、カレーを食べて、ゆるゆると色々な話をして、いつの間にか入門を許してもらいました(笑)。

左燕 やさしいです。自由にやらせていただいています。

左燕 「名古屋弁でやれば?」と言われることもありますが、千葉や東京で過ごしてきたので、名古屋弁で読んだ時に、一瞬でも「?」と思われたくありません。お客さまの頭の中に違和感が残らない話し方を追求した方がいいのかなと考えています。

 ただ、旭堂南華(なんか)先生に『木津の勘助』を付けていただいたんですが、そのような演目は大阪弁がもたらす明るさや親しみやすさが大事になると思っているので、しっかりと大阪弁で読んでいきたいです。ネイティブが関西弁ではないので、おかしいと思った箇所は色々な方に指摘してもらいたいと思っています。そうしたネタはかけて続けていかないと身に付きませんから。いずれは名古屋弁にも取り組んでいきたいです。