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漂泊の思ひやまず

「コソメキネマ」 第十五回

放浪願望

 昔、母親に「あんたは出かけると、糸の切れた凧みたいに戻ってこない」とよく言われました。旅に出ると、明日何が起こるのか、どこに行くのかわからない状態に心が踊り、頭が冴え冴えとしてくる。知らない場所で眠る心地よさ。

 学校を出て、就職する際に会社訪問に行き、白い綺麗なビルの一室で説明を受けた時、毎日この同じ場所に通うのは絶対無理、無理無理~と、身体が拒否するのを感じました。

 その後、毎日別の場所に行き、街を廻るチンドン屋という商売に巡り合ったのは大層幸せなことだったなぁと思います。

 家が嫌いなわけではないのですが、今でもホームに列車が入ってくるのを見た時、海辺で遠くの海岸線を眺めた時、なんだかわからない郷愁のような感情とともに頭に浮かぶのが松尾芭蕉の「漂泊の思ひやまず」という言葉です。

 無性に、ここではないどこかに行ってみたいという気持ちになるのです。ポンと列車に飛び乗っていきたいという衝動に駆られますが、日々の生活が頭に浮かび、ああ、行くわけにはいかないなと思いとどまるのです。自分でもなぜこんな気持ちになるのか、よくわかりません。前世が遊牧民か何かだったのでしょうか~

 私の師である港家小柳も長く全国を浪曲で旅した人でした。そのことを知った時に、なぜ師匠に、師匠の浪曲に心を掴まれるのか、理由の一つがわかったような気がしました。師匠の身体から声から感じられる旅の記憶。

 浪曲の始まりの節を外題付け(げだいづけ)と言います。大体、その話の内容に沿ったものが多いのですが、中に自己紹介のような外題付けもあります。師匠の外題付けの中にこんな文言があります。

 旅する師匠の心情がこぼれ落ちているようで、好きな外題付けです。