NEW

鍋で炊きゃ そこらの米も ゴチになる

「朝橘目線」 第16回

鍋で炊きゃ そこらの米も ゴチになる

前名の表札と、現名の招木。昇進祝いで招木を頂いた時は本当に嬉しかった

三遊亭 朝橘

執筆者

三遊亭 朝橘

執筆者プロフィール

 落語家にとって、芸名は命であり魂である。

 落語家として生きることを師匠から許された証であり、命がけで守らねばならぬ看板でもある。だから名跡(みょうせき)という概念が生まれる。名を成した先代にあやかることで、より一層の飛躍を願う。伝統・伝承芸らしくてよい。

 名跡を継ぐことを襲名、と言う。「襲」という字は、衣服を重ねて着る様子を表すらしい。そこで先代の名を自らに重ねて着るというので、襲名。「名前が襲ってくる!」という意味ではない。まあ中には、名前に襲撃されてる感じの人もいる。誰とは言わない。私が襲われる。

 入門時につけられる名前は、師匠の名から一字もらうことが多い。私が師匠・三遊亭圓橘(えんきつ)から最初にもらった名前は「橘也(きつや)」。未だにその名で呼ぶ先輩もいる。たった二文字の名前もアップデートできないのに、よく長い落語を覚えられるものだと、逆に感心する。

 「三遊亭橘也」宛の年賀状も、まだ来る。そういう人に限って、年賀状終いをしない。向こうは向こうで、橘也終いのお便りを待っているのかもしれない。

 入門から13年弱は、三遊亭橘也。でもその前に実は一瞬、別の名前になりかけていた。

 師匠に入門をお願いし、独演会などに通い続けて約1年後。師匠から「親を連れてきなさい」と言われ、両親と共に師匠宅へ招かれた。圓橘一門と渡辺家、色々と問答の末、遂に弟子入りが許された。部屋中に満ちる安堵感。師匠のおかみさんがさっとお茶を差し替える。こういう時の立ち居振る舞いで、おかみさんに勝る人はこの世にいない。

 皆がほっとしたところで、師匠はおもむろに「名前ももう考えてありまして」と話し出した。そこに居並ぶ、これから兄弟子になる人たちも「なんだ師匠、最初から取る気だったんじゃないですかぁ」という顔で笑う。

 「えー、圓橘の橘に、音で、橘音(きつね)にしようかなと」

 一つ上の兄弟子が、当時「橘つき」。なるほど動物尽くしか。お客様に覚えてもらうようにとの、師匠の配慮に違いない。しみじみ感動していると、普段は夜中のコンビニ店員よりも無口な父親が、急に口をはさんだ。

 さも気に入らないという表情で「……それで決まりですか?」。