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レンズ豆のスープ

シリーズ「思い出の味」 第21回

 魚屋の店先を通りかかれば、いつも女将は店の吊り秤にイワシやらムール貝やらを載せたまま、買い物客の婦人たちと十分も二十分もお喋りを続ける。自然、店頭は人だかりができ、待っている客は待っている客どうしで、これまたとめどない世間話を始める。

 精算は一向に進まない。皆それでいいのだ。

 長寿国たる由縁の一端であったろう。

 そういう愉し気な様子を、金のない時の私は遠くから眺めているよりほかなかった。

 少しずつ小さな店での演奏の仕事を取れるようになってきてはいたが、それとて毎日あるわけではない。家賃が払えない時は、教会の前の道端でギターケースを広げて大道芸人をやり、ギターケースの中に投げ入れられた小銭をポケットに入れて大家の家の門を叩き、「今月分です」と言って手渡したものだ。

 それでも「なんとかなる」という根拠なき自信が枯渇することがなかったのだから、若さというのは一つの奇跡に違いない。

 そういう生活の中、私は外出する用事のある時以外は、借りていたアパートの二階の自室に閉じこもって、朝から晩までギターの練習をしていた。

 それを、近所に住むフラメンコの歌い手の青年が道端に立ち止まって、よく聴いていた。

 ロマ(流浪の民をルーツとした、世界中に散らばる少数民族)の青年で、ビクトールと言った。

 彼は近所の食堂の倅で、よくフラメンコの歌のコンクールなどに出ては賞を取ってくる、界隈でも名うての歌い手だった。恰幅のいい、二十歳前の青年だった。

 「俺は歌いながら生まれて、歌いながら死んでいくんだ」

 というのが彼の口癖で、これは既に世を去っていた、とある著名な歌い手の言いぐさの真似だったのだが、この青年が言うと借りものの科白(せりふ)ではないように思われた。