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地図にない街、地図にない店

「二藍の文箱」 第13回

 そのラーメン屋は新宿末廣亭の近所にいまでもある。

 その名物の角煮と生のキャベツ、焦がしニンニクの油、マー油を使ったラーメンはいまも健在だし、いまだに世代をまたいで落語家たちの青春の味だ。麺の太さも値段も、メニューの量も変わっても。

 わたしも三木助と食べた。わたしも弟子の歌坊とも食べた。

 5月の中席。ひさしぶりに新宿末廣亭に出て、その店の前を通って、その小さんをしくじったまでのはなしはよく思い出したり、ひとに話すのだが、新宿三丁目の路地裏を歩きながら、わたしは1998年の京都に思いをめぐらせた。

 川縁の小さな小料理屋でおばんざいを知り、大将軍――京都市北区にあった焼肉屋のコムタンを知る。

 京都の借り住まいを離れる時、マンションの家主とちょっとした諍いがあった。

 行きは新幹線。帰りは師匠の愛車、フィアットのツーシーター、バルケッタ。イタリア語で小さな船を意味する。

 その車中、京都滞在の最後にケチがついた、その家主をアタマに浮かべ「おかげで、いい『祇園祭』ができそうだ」と師匠は言った。『祇園祭』は、カンタンに言えば、京都の人間と江戸っ子が喧嘩になる噺。

 確かに、師匠が演ればいい『祇園祭』ができたかもしれない。

 ちなみに、その京都の北白川に総本店を置くラーメン屋は、その時点で東京にも数軒あったらしいが、その後フランチャイズ展開が加速し、東京の主要駅には必ず一軒はあるという、全国的にも有名店になった。

 が、わたしのそのこってりラーメンは、そのまま師匠との味でもある。