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地図にない街、地図にない店

「二藍の文箱」 第13回

 師匠の歌司が上野でよく使ったのは、中町通りの釜飯屋と、中町通りから路地を入った、鈴本の裏の蕎麦屋さん。ここでは、先代金原亭馬生から教わったという、蕎麦屋での飲み方のはなしになるのがお決まりだ。

 浅草で圓歌一門が行った店というと、演芸ホールから国際通りをわたった左側にあったとんかつ屋。うちの一門だけでなく、浅草演芸ホールに出ている藝人はよく使っていた。なにしろ、24時間やっていたおそろしいとんかつ屋だ。この店も、やはりいまはない。

 新宿なら末廣亭のとなりのあずま、通り2本向こうにあった蕎麦屋の末広。

 どれもこれも、いまはもうない。いや、ある店を数えるほうがはなしが早い。

 冒頭の「初夏」のように、人間の記憶は得てして曖昧でいい加減なもので、わたしにとっての事実でしかない。けれども、間違いなく断言できることは、あの時わたしがそこにいたということだ。

 そんな記憶を辿るのは、さながら地図にない街を歩くようでもある。

三遊亭司 X

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三遊亭司 note

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(毎月2日頃、配信予定)

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