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地図にない街、地図にない店

「二藍の文箱」 第13回

 寄席の近所にも、当然、師匠お気に入りの店はたくさんあった。

 浅草なら、老舗の有名洋食店。いまは必ず並ぶ店になったが、以前はそんなこともなかった。その「以前」が、軽く四半世紀前だという事実に、すこし眩暈(めまい)すら覚える。

 池袋は中華料理屋とイタリアンとソウルバー。

 上野だったらとんかつの双葉とちゃんこ料理屋だったが、ともにいまは、もう、ない。池之端のちゃんこ料理屋の目当ては、冬場のクエ鍋だった。師匠とさし向かいで、クエ鍋を当たり前のように食べていたのだから、大変な前座時代だった。だからわたしもふぐよりクエが好きだ。

 双葉は師匠亡きあとも、空いたり閉めたりしていたものの、やがて残された建物自体もなくなってしまった。

 その双葉の流れを汲むとんかつ屋が、遠く長野は上田の駅前に店を構えているのが面白い。店には双葉から送られた暖簾(のれん)がかかり、そこに双葉というとんかつの銘店があったことが偲ばれる。

 同じとんかつ屋でも、双葉の並びにあった、武蔵野。ここは圓歌一門がよく打ち上げに使った店で、地下に広い座敷があった。と、いうのも、ここもいまはもうない。

 もっとも大師匠の三代目圓歌は面白がって、なんでも食べるひとだった。それでこそ、ひとつの時代を切り拓いた、新作落語の雄である。

 わたしの浅草演芸ホールの真打披露の時、ハネて打ち上げはブラジリアンバーベキュー、シュラスコの店に行ったのだが、店員の説明をひと通り聞いた大師匠が、ひと言

 早いはなしが、ブラジルの焼き鳥屋か。

 これで、おしまい。落語に出てくる「先生」同様、動じない。