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同窓会という人生の確認

「噺家渡世の余生な噺」 第14回

取り残された男

 進学先も、就職先も、同級生とは少し違う分野、地域に進んだ。

 そして今は、噺家である。だからだろうか。発案者Sからの同窓会の知らせを受けた時、少し怖くなった。皆は大人になった。だが自分だけ、中学生のまま取り残されているのではないか。そんな気持ちになった。

 いっそ欠席しようかとも思った。あの頃の楽しかった思い出を、そのまま保存しておきたい。そんな逃げ腰な考えまで浮かんだ。

 ところが後日、同窓会のホームページが更新された。幹事長S。その下に、幹事T、幹事N、幹事K、と書いてある。私は思わず笑った。どのTだ。どのNだ。どのKだ。地元にはそれらの苗字が何世帯もある。同級生にも何人もいた。結婚してそれら苗字になった者もいる。

 その瞬間だった。私は妙に安心した。ああ、Sはあの頃のSのままだ。三十年経っても、どこかあの頃の抜けたところを残している。

 その安心感で、私は参加を決めた。

恩師たち

 嬉しかったのは、恩師も何人か出席してくださることだった。

 昔は教師という職業を、どこか特別な存在だと思っていた。だがこの歳になると分かる。教師もまた、数ある職業の一つである。そして教師も人の子だ。悩みもあれば失敗もある。

 それでも恩師は恩師である。あの頃の言葉。あの頃の叱責。あの頃の励まし。そのおかげで今の自分がある。感謝を伝えたいと思う。もしその一言で、先生方が「教師をやって良かった」と思ってくださるなら……。

 それだけで十分である。