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〈書評〉 修羅の時 青春の時 (山田太郎 著)

「芸人本書く派列伝 クラシック」 第15回

挫折から始まる第二の人生

 弟子入りから2年が経ち、師匠・友衛が稚内から樺太に巡る公演に出かけるのに付き従って幸男も巡業に出た。

 もちろん舞台に上がれるわけはなく、師匠の身の周りの世話をするのが仕事である。ところが兄弟子の一人に召集令状が届き、座員が足りなくなってしまう。日本は太平洋戦争に突入していたのだ。

 師匠から声がかかり、突如幸男はデビューが決まる。芸名は木村素衛(もとえ)、唸るのは「国定忠治」である。しかし急ごしらえの浪曲師が無事に舞台を務められるわけがなく、散々に野次を飛ばされて話半ばで幕を下ろされた。

 こうして浪曲師になれた素衛こと幸男だったが、1945(昭和20)年に徴兵検査を受けて海軍入りが決まる。だが9月1日付の入隊目前で日本の敗戦が決まり、お役御免となった。そこで師匠の友衛の下に戻ると、非情な言葉が待っていたのである。

「西川、おまえの声は金にならないよ。その代わり、おまえは頭がいい。どうだ、これから番頭にならないか」

 番頭とは、すなわち現在で言うマネージャーのことである。友衛のようなスター浪曲師は、全国から地元に呼びたい興行師が集まってくる。彼らを前に、1年のスケジュールを決めるのが総マネージャーのいちばん大きな仕事で、幸男は見習いとしてその下につき、もう一度興行のイロハを学び直した。

 マネージャーになれば師匠の身の周りの世話をするだけではなく、切符を売ったり、興行師から金を集めたりするのも仕事になる。当時の興行師は、ほとんどが堅気の人間ではなかった。そういう人々のあしらい方もここで学んだ。

 その成長ぶりを見込まれたのか、22歳で幸男はマネージャーとして独立することを友衛から勧められる。浪曲師の卵を育てながら、自分で興行も打つ立場になったのだ。西川興行社、後の新栄(しんえい)プロダクションの誕生である。

 興行には看板スターが必要だが、駆け出しの幸男に番付上位の大家を押さえることなどできるはずがない。そこで考えたのが、若手浪曲大会と銘打った興行だった。これが当たり、西川興行社は大きく発展していく。