見えないものを見る

「二藍の文箱」 第16回

百景と十二席

 令和8年も1年を通した企画にしようと、生誕や没後など関係なく、歌川広重の『名所江戸百景』を題材とした。百景と言っても、119作品からなる。そのうち毎月1枚と、その絵から連想されるような噺を口演する趣向で、お客さんの手元には、その絵もいきわたるようにした。

 噺のなかには、その一瞬を浮世絵、錦絵の1枚のように見せるものもある。例えば、一中節の師匠・菅野伊之助と生薬屋栄屋の娘・お若との恋模様を描いた『お若伊之助』の一場面、庭先にある桜の老木を見ながら伊之助のことを想うお若の姿。この噺は、この一場面を絵で見せることができれば、それはもう演者にとって成功といっていいと、わたしは思う。

 そんなところからの着想なのかもしれない。

 三代目三木助の『芝浜』では、マクラに「昔は隅田川で白魚が獲れたなんという、なにかのんびりとした時代があります。広重百景なぞを拝見しますと、大きな四手網で白魚を獲っている絵なんぞがよく描いてございまして」とある。

 この広重百景が言わずもがな、今年の題材、歌川広重の『名所江戸百景』のことである。

 わたしに『芝浜』ができるなら、12月でなく1月に『芝うらの風景』でなく『永代橋佃しま』を持ってきたかもしれない。まだ暗い大川に白魚漁の漁火を描いたものだ。

 三代目三木助は、そのマクラで芭蕉の『明ぼのや しら魚しろき こと一寸』をとりあげている。ちなみに芭蕉十哲のひとりである宝井其角は、『白魚を ふるい寄せたる 四つ手かな』と詠んでいる。わたしが演るなら、田端の師匠へのオマージュで、こちらを採るか。

 などと、演るはずもない噺のあれこれを考えるのも、また、たのしい。