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2026年3月の最前線(聴講記:令和鹿芝居「髪結新三の巻」/玉造小劇店「カラサワギ」、講談界短信)

「講談最前線」 第15回

2026年3月の最前線(聴講記:令和鹿芝居「髪結新三の巻」/玉造小劇店「カラサワギ」、講談界短信)

宝井琴凌が出演した、令和鹿芝居 第8回公演「髪結新三の巻」

瀧口 雅仁

執筆者

瀧口 雅仁

執筆者プロフィール

 講談はいつも面白い。そして講談はいつも新しい――。講談の魅力って? 講談ってどこで聴けるの? どんな講釈師がどんな講談を読んでいるの?と、それにお応えするべく、注目したい講釈師や会の情報、そして聴講記……と、講談界の「今」を追い掛けていきます。

新たな表現を模索する講釈師たち

 講釈師は、また創作者でもある。新作講談や創作講談で高座に臨む人もいれば、伝承されてきた話に、今を、そして自分の考えなりを反映させて、我流の話を読んでいく人もいる。

 先人から伝えられてきた話を“ただ”読むだけなら(それはそれで大変な作業ではあるが)、乱暴な話、速記本を読み、残された音を聞けば良いという考えもある。講談という芸が現在でも多くの聴き手に受け入れられている理由は、そうした今と、講釈師という存在が話の中に読み込まれているからであろう。

 そして、創作者であるだけに、時に様々な表現を模索する。近年であれば、二代目神田山陽による立体講談や、田辺一鶴による音入り・小道具ありの講談もその例で、現代講談史を騒がせた「ポルノ講談」もそこに入って来よう。

 先日、当ウェブで公開した三代目松林伯知(しょうりんはくち)のインタビューでも話していたように、かつては講談裁判(1つの話の1つの出来事を取り上げて、それを可とするか不可とするかを競い合う。今風の言葉を借りれば、相手をいかに論破するかを高座で行うもの)も行われ、伯知は池袋演芸場でそれを復活させた。

 それらは講談という芸の上での表現であり、時に芸人はその枠を飛び出すことがある。伯知も述べていたように、「近代講談中興の祖」たる二代目松林伯圓(しょうりんはくえん)は、講釈師による芝居も行っていた。

 手元にある記録を見ると、1892年(明治25年)8月、春木座(のちの本郷座)で、『雪中梅』『鈴ヶ森』『廿四孝』をかけたとされ、伯圓は八重垣姫などを、その弟子・伯知は鈴ヶ森の権八(初代快楽亭ブラック演じる幡随院長兵衛との鈴ヶ森での掛け合いが話題を呼んだとされる)、白須賀六郎役の松林伯鶴(しょうりんはっかく)等々が出演している。ただし、講釈師による芝居は、それ以前にも見られる。

 ちなみに同じ頃、東京の講談界は伯圓が御前公演という名誉ある高座を務めている一方で、小金井芦洲や松林伯知らの「正論派」と、神田伯山や柴田南玉をはじめとする「睦派」に分裂するという時代でもあるが、講談界はこの時代、様々な形で動いていたのだ。

 落語界では「噺家の芝居」を詰めて「鹿芝居(しかしばい)」と呼び、近年でも金原亭馬生、林家正雀などにより行われているが、講談の世界ではそうした企画は近年、観られない。

 昨年4月、歌舞伎座で披露されたような、神田松鯉の話を歌舞伎に移した芝居などは見られるが、例えば、講談でも読まれる歌舞伎の名作や新劇作品を、今の講釈師たちが見せるといったことはない。だからこそではないが、層の厚くなってきた講談界でそうした企画に挑むとなれば、どんな舞台を見せてくれるのか。そんなことを想像してみるのも楽しい。

 そうした中、新年早々、二人の講釈師が芝居に出演した。1月に鹿芝居の重要なキャストとして宝井琴凌が、そして2月には大阪と東京で、新劇の狂言回しの一人として旭堂南華が出演したので、足を運んでみた。