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〈書評〉 修羅の時 青春の時 (山田太郎 著)

「芸人本書く派列伝 クラシック」 第15回

〈書評〉 修羅の時 青春の時 (山田太郎 著)
杉江 松恋

執筆者

杉江 松恋

執筆者プロフィール

昭和・歌謡界の親方

 山田太郎という名前を懐かしく思い出される方もいらっしゃると思う。

 ドカベン、の方ではなくて歌手の山田太郎である。1963(昭和38)年、「清らかな青春」でデビューを果たした。青春歌謡路線に狙いを絞り、1965(昭和40)年に歌った「新聞少年」(八反ふじを・作詞、島津伸男・作曲)は、集団就職で東京に出てきた勤労青年から絶大な支持を得た。

『修羅の時 青春の時』(集英社)は、その山田太郎の自叙伝である。といっても、単なる歌手の一代記ならこの欄で採り上げるはずもない。本書には「昭和・歌謡界の親方――西川幸男」という副題が付けられている。西川幸男(にしかわゆきお)は、山田太郎こと西川賢(にしかわけん)の実父だ。本書前半部の主役は、この父親なのである。

 西川幸男は1925(大正14)年、千葉県千倉町(現・南房総市)生まれ。漁師町における一家の生活は貧窮を極め、やがて東京の蒲田に移住、小さな食堂を開いた。その経営を軌道に乗せる手伝いをしたのがまだ10歳だった幸男で、その年でもう商才を発揮していた。近所の工場に行っては、弁当の注文を取ってきたのである。時には20個の注文に30個の弁当を作らせ、余りを自分で売りさばいて小遣いにする、というようなはしっこいこともしていたという。

 両親は、この幸男少年が実業の道で出世してくれることを期待していたが、その気持ちを知ってか知らずか、当人は浪曲師になりたいと言い出した。昭和前期の当時は浪曲全盛期、聞き覚えた浪曲のさわりを唸って、近所ではなかなかの評判だったのである。

 14歳で、東京都中野区に住む初代木村友衛(きむらともえ)に入門、広壮な大邸宅で来る日も来る日も掃除に明け暮れるという修業生活が始まった。あまりに廊下の掃除ばかりしているので、新品のズボンをおろすと毎回1週間ですり切れた。