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やれ打つな 俺が手をすり 家事もする

「朝橘目線」 第17回

 ところが、だ。

 先日、大物ゲストを招いて、我が五代目円楽一門会の興行があった。二日間で三公演。私の出た回だけ、なぜか楽屋で出演者の集合写真が撮られなかった。あとの二回はいずれも、楽屋で家族のような和気あいあいな出演者たちが、カメラにおさまっていた。それを知ったのが一門会会長・七代目円楽師のSNSだった。

 いくらでも撮る時間はあったはずだ。暇を持て余した会長が、昼食後、すごい念入りにフロスをしている現場を見たくらいだ。必殺仕事人の糸の人がいるのかと思った。

 ひょっとして、勇気出してフォトをお願いしても「ごめんなさい」される可能性もあるのか? そう思うとますます怖くなる。そんな私だから、たまさか墓石の写真投稿が続くと、まるで墓石マニアのごとき様相を呈してしまう。間に生き物を挟めないからだ。さればとて、石に着物は着せられず。

 それにしても、落語家になってからというもの、お墓参りの回数が明らかに増えた。世間様より多いと思う。前述のような、芸の上でのご先祖様への、感謝の気持ちがあるからだ。

 うちの師匠は、そういうことをとても大事にする。その背中を見ている弟子も当然、そうなる。だが落語家が皆、そうというわけではない。不敬な落語家もいるにはいる。私が圓朝師のお墓参りにしばしば行くと言うと、「あーそうだよね。祟りが怖いもんね」とよく言われる。

 圓朝物をやる際、墓参を欠かすとバチが当たるとか、顔が腫れたとか。「それが嫌ならちゃんとお墓参りしようね」と皆さん言う。そのたびに、私は内心、舌打ちをする。大勢いる楽屋だと、心の舌が攣り(つり)そうになる。

 そんな後ろ向きな動機で来られたら、師匠も嫌だろう。「怖いから挨拶に行く」だと、めんどくさい先輩みたいだ。「師匠の作品、高座でやらせていただきます、ありがとうございます!」だと思うのよ、普通は。