NEW

苦しみを、人生の片隅へ

「噺家渡世の余生な噺」 第17回

忘却は最大の復讐なのか

 以前、こんな話を聞いた。

 高校時代、スクールカーストの上位を気取っている男がいた。大人になってからも、その頃の武勇伝を繰り返していた。ところが、社会へ出ると、思うようにはいかない。そこで、昔の武勇伝を語っては、人より優位に立とうとする。

 ある日、その武勇伝の相手だった「いじめていた」同級生と街で出会った。男は、昔と同じ調子で声を掛けた。すると相手は、こう答えたという。

 「おたく、どちら様でしたっけ?」

 男は強い衝撃を受けた。何年も語り続けてきた武勇伝の相手から、自分の存在そのものが消えていたのである。

 自分は相手の人生にとって大きな存在だったと思っていた。ところが、相手の人生には、もう自分はいなかった。それが、何より堪えたのだろう。

 もう一つ、似た話を聞いた。

 家庭内で妻や子どもに暴力や精神的な虐待を繰り返していた父親が、年を取り、施設へ入ることになった。施設から身元保証などの話があり、子どもたちが訪ねてきた。父親は、どこかで期待していたのかもしれない。

 「いろいろあったが、子どもたちは自分を許してくれた」

 と、思ったらしい。

 ところが、子どもたちから出てきたのは、次の言葉だった。

 「変わってしまって、一瞬わからなかった」
 「名前の漢字が思い出せない」
 「生年月日、いつだったっけ」

 父親にとっては、屈辱だっただろう。しかし、子どもたちは、本当に何も覚えていなかったのだろうか?

 私は、そうではないと思う。忘れたのではなく、忘れたことにしたのかもしれない。そのほうが、自分の人生を取り戻せるからだ。

 「忘却は、最大の復讐なり」

 それよりも強いものがあるとすれば、「忘却したふり」なのかもしれない。

私も、忘れたふりをしたことがある

 かくいう私も、記憶力は良いほうだ。

 何度も書いているが、中学校時代の同級生なら、三年間のクラスや部活動まで思い出せる。ありがたかったことも覚えている。嫌だったことも覚えている。どうも私は、都合よく忘れることが苦手らしい。

 以前、昔の上下関係を持ち出して、私を自分の下に置こうとする人がいた。「俺のおかげで」という話である。私は、こう答えた。

 「もう昔のことなので、忘れました。今が楽しい毎日なので、どんどん記憶が塗り替えられています」

 本当は、覚えていた。かなり覚えていた。だからこそ、そう答えた。相手からすれば、「あれだけ世話をしてやったのに」と思ったかもしれない。

 だが、その人のために、これ以上、自分の時間を使うつもりはなかった。過去に受けた仕打ちを、いつまでも自分の人生の中心に置いておく必要はない。

 忘れられなくてもいい。ただ、その人のために、これ以上、自分の時間を使わない。それも一つの「忘れ方」なのだと思う。