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「すずめのさえずり」 第十三回

夏

画:原田みどり

古今亭 志ん雀

執筆者

古今亭 志ん雀

執筆者プロフィール

 たとえば甲子園を目指して一生懸命練習に励んだけれども、レギュラーになれずベンチ入りもできず、スタンドで応援する側になったとして。もちろん仲間の勝利を祈って応援はするけれど、それでも心のどこかで、どうしても「負けちまえ」と思ってしまう。

 そんな弱い心を持っている人は、その立派じゃないところがとても落語的だし、そんな人とはきっと話が合うと思う。

 夏である。

 上のようなことを考えるくらいであるから、夏に熱い青春の思い出などはない。弓道部の夏合宿で、なぜかやたら走らされた記憶くらいである。いまさら戦に行くわけでもない、稽古で息が切れることもない弓道部でなぜ走る必要があったのか、いまだに謎である。

 おそらくランニングくらいしておかないと、運動部なんだか文化部なんだかわからなくなるから、という先輩からの申し送りであろう。

 小学校の夏休みでは、宿題に自由研究というものがあったが、これがまた苦痛であった。令和の今も、同様の苦しみを抱えている子供らは多かろう。もともと何かに興味を持っていたり、以前に体験する機会があったものを掘り下げるのであればともかく、そういったものがない場合に、何でもいいから自由に研究しろ、と言われても困る。

 結果として、自由研究キット、的な、自由でも何でもないお仕着せの教材に頼ることになる。

 読書感想文にしてもそうで、なんとなく教育委員会が求める正解のようなものがあるんだろうな、などと考えてしまうと、もう書けない。もし「何が何だか全然わからないし、面白くなかった」という感想でもいい、それをきちんと文章化してみなさい、と教えてくれる先生がいたならば、ここまで苦手意識を持つ子は多くならないのではないか。

 そんなわけで、当時とくに何かに興味があったわけでもない私にとって、自由研究は毎年憂鬱であった。今なら何を研究しただろう。脇芽をきちんと取った場合と放任栽培した場合のトマトの収穫量の差、とか?