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牛乳の日(6月1日)に思う

「すずめのさえずり」 第十二回

 娘は偏食だが、私にはさほどの好き嫌いがあったとは思えない。

 だが、あの頃の私は「食」に興味がなく、おそらく少食であった。それに比べると、彼女はバリエーションこそ限られているものの、とにかくたくさん食う。やはり何事においても、まずは「量」が「質」を凌駕するものと見える。

 記憶にはないが、ごく幼い頃の私は、それはそれは大食であったらしい。医者から「このままだとこの子は肥満児になる」と言われた祖母が、慌てて食べさせないようにしたとかしないとか。

 牛乳を、かかさず飲んでいた。

 小学校で供される牛乳は、当時としても珍しくなりつつあったビン牛乳であった。どちらかといえば好きなほうだったので、余りが出たときの争奪ジャンケンにもよく参加した。コーヒー牛乳の日は、クラス全員参加の激戦となった。

 牛乳を、たくさん飲めば背が伸びると信じていた。しかし、なぜかあの頃、いつも腹の調子が悪かった。

 己が牛乳を受け付けない「乳糖不耐症」であると気づいたのは、とうに成長も止まった二十歳を過ぎてからだった。

 一世を風靡した奇書『買○てはいけない』には、「牛乳でお腹をくだすのは、殺菌過程でタンパク質が凝固しているからで、低温殺菌牛乳ならば問題ない」などというトンデモ説が開陳されていたが、タンパク質は何の関係もない。問題は乳糖(ラクトース)だ。

 彼らが「味の素」を忌避しようが何をしようが、それはビーガンと同じく個人の主義であろうから、好きにすればよい。だが、一時でもそれを信じてしまい、せっせと消化吸収できぬ低温殺菌牛乳を飲んでは腹をこわしていたというのは、笑うに笑えぬ己の愚かしさである。

 すべては無駄だった。

 戦後の脱脂粉乳から始まり、子供の栄養状態を良くするために給食に取り入れられた牛乳。だが、一説には4人に1人とも言われている、牛乳でお腹がピーってなるやつ、は皆、その網からこぼれ落ちていたのである。

 だいたい、ご飯と味噌汁に牛乳が合うか!