第十二話 「荒れるチラシ」

「令和らくご改造計画」

#2

 それでは、本題に戻る。

 僕は、よく例えに出すのだが、どんなに商品が良くても、その商品を並べているショーケースが埃まみれでは、中の商品を買おうとは思わない。つまり、どんなに良い落語だろうが、どんなに主催者に熱量があろうが、現場より手前(チラシやインターネットの情報など)の見た目が悪ければ、お客様が寄ってこないのは当たり前だ。

 それでも高いハードルを乗り越えて来てくれる、いわゆるマニアや通のお客様だけを狙うのであれば、それで構わない。しかし実際は、そこまで割り切れているイベントも珍しいだろう。やはり「落語を広げたい」気持ちはあるのだ。

 では、その志に相反する、信用を落としてしまうオンラインの情報とは、どういうものなのか。

 まずは、チラシやSNSなど、宣伝に使う画像である。昨今の落語会は、出演者の写真やイラストを載せたチラシが一般的になった。だが、写真付きなら何でも良いというものではない。デザインの基礎を押さえていない主催者本人がその作成を担当する際は、それなりの注意が必要だ。

 明らかに素人が宣材写真を切り貼りし、スマートフォンだけで見よう見まねに作ったことが丸分かりなビジュアルでは、「このイベントには、お金がかかっていないんだな」と感じられてしまっても無理はない。すると出演者までも「その程度のクオリティの芸なのかな?」と思われる可能性がある。

 また、以前にもこのシリーズ内で書いたことがあるが、チラシ内のどこにも「落語」の文字が見当たらず、例えば「〇〇・△△二人会」などとだけ書かれている。

 落語ファンならばそれだけで「ああ、二人が落語を二席ずつやるのだろうな」と見当がつくが、このチラシを予備知識ゼロで受け取った落語会未経験者はどうだろうか。「二人会って……いったいこの二人が何をするんだろう?」と、ここで止まる。

 5年前、「勉強会」のチラシを受け取った僕の友人は、ペンとノートを持ってきた。それが現実なのだ。

 飲食店の店構えを見て、料理やサービスの質を推測することは誰だってする。窓の外から見て綺麗だったり、賑わっている様子が伺えたり、店の外にメニューが写真付きで見られるようになっていれば、それらが信用につながる。チラシやSNSなどは、その役割に該当するだろう。

 ここを「こんなものでいいか」としてしまうのは、顧客心理を無視していると言わざるを得ない。もちろん実際には、低予算の中で愛情を込めて開催している会も多い。だが、愛情や丁寧さだけでは限界があるのだ。どれだけ愛情を注ごうが、素人の仕事はバレる。これは勿体ない。

 なので、もし低予算でやるにしても、デザインの基礎を勉強するなり、既にあるデザインを参考にして寄せて作るなりして、そういった粗(あら)を全力で隠し、最低限の綺麗さ・見やすさを確保してほしいと思ってしまう。