2026年7月の最前線 【前編】 (講談界の襲名について考える)

「講談最前線」 第23回

襲名の本質

 改めて「襲名」の意味を辞書に求めると、〈子や弟子が、親または師匠などの名跡を継ぐこと〉(「日本国語大辞典」)とある。

 以前、神田伯山ティービーの中で、襲名をしたばかりの伯山を前に、神田愛山(かんだあいざん)が「師匠山陽が良く言っていたけども」という断りを入れた上で、「名前というのは、その人が築いていくもので、名前を大きくするのも小さくするのもその人なんだから、大名跡を継いでもその人の器が小さければ縮んでしまう」とした。

 さらに「襲名というのは、その名前を代々継いできた人の持ちネタも継がなければならない。先代が継いできたものに敬意を表して、礼儀としてそれもやらなければならない。それが襲名という意味であり、それがこの世界での襲名という意味だ。襲名というのは、名義変更ではない。講談の歴史を継ぐことだ」といったようなことを話していたのが印象深かった。

 襲名の一つの、そして重要な意義はここにあるのではないだろうか。

 講談という芸は、流派ごとに読み物の違いや話に対するスタンス等々があるために、流派を超えての襲名というのは簡単なものではない。

 神田派と田辺派には共通する神田辺羅坊寿観(かんだべらぼうすかん)という祖がいる(とされる)が、だからと言って、時代を経てきた今、読み物ばかりでなく、講釈に対するアプローチの仕方や考えの違いもあり、田辺派が神田派の名を、またその逆となる襲名というのも考えにくい。流派を超えての襲名があるとすれば、芸の力がそれだけ必要になってこよう。

 ただし、明治期にあった講談隆盛期以降、芸譜が見えにくくなってきてしまった名前があるというのも事実である。先に挙げた桃葉に東玉といった名前はそれに当たる。