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〈書評〉 浅草木馬館日記 (美濃瓢吾 著)

「芸人本書く派列伝 クラシック」 第13回

〈書評〉 浅草木馬館日記 (美濃瓢吾 著)
杉江 松恋

執筆者

杉江 松恋

執筆者プロフィール

木馬亭をめぐる一冊

 今回紹介するのは講談・落語・浪曲を直接扱った本ではない。

 ただし密接に関連する本ではある。全国唯一の浪曲定席・木馬亭が一階で開催されている浅草木馬館に関する本だからである。美濃瓢吾(みのひょうご)『浅草木馬館日記』(筑摩書房)がそれだ。

 美濃は1953(昭和28)年大分県生まれで、いわゆる〈祝額〉、開店や新築披露などの際に送られる大入看板を中心とした画家である。立教大学を卒業後、神奈川県で暮らしていた美濃は、井の頭沿線の馴染みの店に、祝額を背にした招き猫の油彩画を掛けてもらっていたことがきっかけで、根岸吉太郎(ねぎしきちたろう)と面識を得る。

 根岸吉太郎は『遠雷』『永遠の1/2』などの作品がある映画監督で、実は木馬館を経営する根岸興行部の経営者・根岸京子の息子である。その吉太郎から「うちを手伝わないか」と声を掛けられ、住み込みで木馬館二階の売店で働くようになる。

 後で書くが、木馬館二階は1977(昭和52)年6月28日まで安来節(やすぎぶし)の寄席として興行が打たれていた。その後、東京都北区の篠原演芸場が入って大衆演劇を始め、現在に至っている。美濃が働いていたのは、その大衆演劇のための売店である。

 根岸吉太郎の運転するルノーで1986(昭和61)年5月に木馬館にやってきた美濃は、根岸京子や木馬館の守りをしていた菅谷信三、当時「月刊浪曲」を刊行していた芝清之(しばきよし)に紹介された。そのまま、土曜日から火曜日まではその二階に住み込んで売店を手伝い、残りの日はもともと住んでいた神奈川県小田原市根府川に帰るという生活を始めたのである。

 二階に続く階段を上がった部屋は「畳を縦長に三つ並べた広さ」で「二灯の蛍光灯がなければ真っ暗闇となる」。部屋は五重塔通り(奥山おまいりみち商店街)に面しており、「外を通る人の声、変電室のモーター音、浪曲師の声や三味線、そして二階の旅役者のセリフや歌声ばかりが聞こえてくる」。

 木馬館一階の木馬亭で浪曲定席公演が始まったのは、1970(昭和45)年のことである。それまでは映画館として使用されていた時期もある。

 現在、木馬亭の正面玄関から入ると目の前に木戸があり、左に歩いて行って客席半ばと後方の扉から中に入る構造になっている。おまいりみち商店街に面している側の、向かって右側が舞台で左側に向けて勾配のついた客席が131脚ある。おまいりみちから見て奥、客席からすれば舞台に向かって左側が縦長の楽屋になっているが、映画館時代はここも客席として使われていたらしい。