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〈書評〉 上方落語 笑われてあと心地よき 寄席囃子 (四代目 林家染丸・門弟一同 著)

「芸人本書く派列伝 オルタナティブ」 第16回

階下から届く師匠の声

 三代目はなかなか稽古をつけてくれない師匠で、見て覚えろというタイプだった。舞台袖で体中を目や耳にして学ぶしかないのである。この姿勢があったためか、四代目を継いで弟子を取ったあとも、口写し・オウム返しが基本で、録音は許さなかったという(第三章所収。林家竹丸「弟子を導く稽古の現場」)。

 ただし、聞いて覚えたものをやっているだけでは、どこが悪いかはわからない。師匠宅の2階に与えられた部屋で大声で稽古をしていると、三代目は階下でそれを聞いている。

 染二こと四代目染丸が入門した時期は、この世界を後に背負って立つ才能が続々と上方落語入りしていた時期でもあった。当時、三代目は上方落語協会会長を務めており、笑福亭仁鶴と月亭可朝の二人を吉本興業に売り込んでいる。彼らは染二にとっては先輩格で、特に可朝は元・林家染奴(そめやっこ)、つまり三代目の兄弟子だったのが、無茶ばかりするので破門となり、桂米朝に拾われたのである。

 1965(昭和40)年から1967(昭和42)年にかけては、桂三枝(現・四代目桂文枝)や桂春章(現・四代目桂春団治)、笑福亭鶴光などが入門しており、若手の頭数がかつてないほどに多かった。染丸の若手時代は、吉本興業が漫才主体の興行に舵を切って安定していた時期であり、落語家であるのにコントの舞台を踏まなければならない、などの苦労もしなければならなかった。

 立体落語とも言えるコント「はなしか団地」もその一つだろうが、染丸は「面白かったぁ」と余裕をもって振り返っている。東京の人間にはわからない、上方ならではの寄席興行の世界を本書では覗き見ることができるのだ。