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古今東西を自在に読む講釈師 松林伯知(中編①)
「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第28回
- 講談
狂言研究会時代に経験した本舞台にて(松林伯知・提供)
一時期、絶滅危惧種とまで言われるも、現在、東西合わせて120名を超えるまでになった講釈師。江戸から明治、大正、昭和と、主に男性が読み継いできた芸であったが、平成、令和と時代を経て、女性目線による女性の講談が世に送り出されてきた。その時、講釈師は何を考え、何を読んできたのか。第一線で活躍する女性講釈師に尋ねてみた。〈松林伯知(しょうりんはくち)先生の前編/中編①/中編②/後編のうちの中編①〉
『笑芸人』編集部の日々
―― 雑誌『笑芸人』の編集部でバイトをしていたのもその頃ですか。
伯知 学芸員や研究者、時代小説家になりたかったんです。この頃ちょうど、「学芸員の空きが出るまで10年かかる」と言われていた時で、自分の専門に合うところに行くには、さらに時間がかかる。そこで、うちの大学の先輩方の進路で多いのが、いったんマスコミに行ってから、小説家などに転身するというのがありまして。マスコミや出版社の実務経験が3年あると、希望の就職先の採用に有利なところが多かった。
どうせ10年待つならば……と編集バイトを探したと言うわけで。それにマスコミにいて、そこから小説であったり、映画や芸能に関する書き物に進む人が多かったので、そうした道を模索していたんですが、どうしてもマスコミで働くとなると、実務経験を求められてしまうんです。その中で白夜書房はウェルカムで、落語の本作りに携わったのは『落語ファン倶楽部』の第二号あたりからです。
雑誌『笑芸人』は、1999年(平成11年)11月に第1号が発売され、2005年(平成17年)12月まで刊行。落語や漫才、諸芸を取り上げた演芸の専門誌であった。その姉妹本としてムック形式で出されたのが『落語ファン倶楽部』で、第1号は2005年7月刊行。当時、話題を呼んだ人気ドラマ『タイガー&ドラゴン』や、春風亭小朝を軸とする六人の会等の特集が組まれた。
その間、「ラジオDEパンチ」といった別冊も出されたが、2013年(平成25年)12月の「志ん生・文楽特集」を経て、2014年(平成26年)4月の「東西全落語家一門名鑑」をもって終刊を迎えた。
―― 『笑芸人』は落語や漫才ばかりでなく、ラジオや芝居といったものにも焦点を当てた、今となっては2000年代のエンタメをおさえた貴重な雑誌でした。
伯知 大人計画とか三谷幸喜の特集も組まれたりしてましたよね。私は「笑芸人」から「落語ファン倶楽部」に切り替わって以降の編集部員でしたが、落語の師匠の自伝本やラジオ本、時代劇ムック等々、貴重な経験をさせていただきました。
―― 講談も、当時は三代目の神田山陽さんが活躍していたので、しばしば取り上げられることもありましたが、落語についての特集が組まれることがやはり多かった。
伯知 毎日インタビューをして、それを構成して、三遊亭圓生(六代目)の特集の時は、圓生百席と東横落語会の聴き比べをしていたので、とにかく一日中落語を浴び続けていました。笑福亭鶴光師匠の自伝本を作っている時に、のちに師匠になる神田紅のところへ写真を借りに行くことがありました。上野広小路亭で講談教室をやってるから、そこで受け取りということになって、出向きまして、ついでにちょっと講談教室を見学させてもらいました(笑)。
―― それですぐに入門ではないですよね。
伯知 講談教室があるのは知っていたんですが、やはりその頃、師匠の写真を借りに行かなくてはならなくて、教室のある日に覗いたら、私の知っている好きな歴史の話をしているので、楽しそうだなと思いました。狂言はやり続けるのは難しいですし、教室は夜も開講していたので、習いに行くことにしたんです。
ここで挙げる講談教室は、現在はお江戸上野広小路亭で「紅塾」として開かれている。毎月第二水曜の昼と夜に行なわれている。また笑福亭鶴光の自伝本とは『つるこうでおま!』(2008年7月、白夜書房)のことで、落語『袈裟御前』と「オールナイトニッポン」でのトークを思わせる『ええかええのんか!』を収めたCDの付録が付いている。