第十四話 「踊る金持ちピエロ」

「令和らくご改造計画」

第十四話 「踊る金持ちピエロ」

絵:大熊2号

三遊亭 ごはんつぶ

執筆者

三遊亭 ごはんつぶ

執筆者プロフィール

#1

 どういうわけだか、落語家は、ネットなどで「伝統にあぐらをかいている」と言われることがある。

 僕ら若手でさえ、言われる。入門からまだ10年程度、あぐら歴10年である。こんなに毎日、正座ばかりしているのに。

 しかし、そもそも世間の人たちは、落語界の一体何を見て、そう感じているのだろうか。実際に生の落語を聴いて、「こいつら、伝統にあぐらをかいているな」と思った人なんて、そんなに多くはないはずだ。

 落語に興味がない人は、寄席にも落語会にも行かない。それでも「落語家って、なんとなく伝統にあぐらをかいていそう」という印象は持っている。ということは、落語に接さない生活の中でも、何かしらの「落語家像」が目に入っているということか。

 では一体、何を見ているのか。

 ここは忖度なしでいこう。皆、頭をよぎったのだから。やはり、「日曜夕方5時半」なのだろうか。それとも、時々テレビへ出てくる、コメンテーター的な師匠方だろうか。

 そう考えてみると、世間一般の人々が日常生活で目にする落語家なんて、かなり限られている。人数で絞れば、10人を切るのではないか。世間の「落語家像」は、ほんの一握りの落語家によって作られている可能性がある。

 では、同じ伝統芸能である歌舞伎役者を見て、この人たちは同じように「伝統にあぐらをかいている」と思うだろうか。むしろそちらは、「ドラマなどにも出ていて頑張っている」と言いそうな気がする。

 ならば、問題は「伝統芸能であること」そのものではない。落語家が「落語家以外の見せ方をほとんどしないこと」に原因があるのかもしれない。もちろん、別の見せ方が簡単にできるなら、とっくにやっているのだろうが……。

 そのため、落語を知らない人からすれば、いつまでも「生業(なりわい)のよく分からない、偉そうで小難しい着物集団」なのである。

 世間からすると、落語家には、いまひとつ親近感が湧かないのだろう。

 それでいて、何枚も重ねた座布団の上に座っていて、何かこう、「自分たちの理解できる土俵まで降りてこない」という雰囲気が、鼻につくのかもしれない。

#2

 ところで世間では、落語は「オワコン」だと思われている節もある。

 これは実を言うと、誤解である。少なくとも短期的に見れば、落語市場は実は充実している。寄席やホール落語会、学校寄席など、仕事の場はある。落語だけで生活している人間も珍しくない。つまり、プレーヤー数と市場規模のバランスが非常に良いのだ。

 プレーヤー側からすると、案外潤っている。そこにいるお客様もおおかた満足しているはずだ。なので、今の市場の中だけを見れば、それなりに成立しているのである。

 ただし、間違えてはいけないが、業界全体としての需要が高いわけではない。プレーヤーの数が少ないために、一人当たりへの需要が高くなっているだけなのだ。そして、その市場は確かに、先人たちが長い時間をかけて作ってきた「落語」という文化によって支えられている。

 その上で、我々がそれ以上を望まないのであれば、大まかに言えば、確かに「伝統にあぐらをかいている」と言われても仕方がないのかもしれない。

 しかし、正確に言えば、違う。ほとんどのお客様は、「伝統芸能だから」という理由で落語を聴きに行くわけではない。好きだから行く。素直に楽しいと思うから、チケットを買う。つまり、落語家は「伝統にあぐらをかいている」わけではない。

 では、なにか? 我々、落語家は、この市場の「バランスの良い狭さ」に、あぐらをかいているのではないだろうか。

 あとは、閉鎖的な環境に甘えているところも多少はあるのかもしれない。落語をよく知る演芸ファンの前でばかり落語をしているうちに、世間と向き合わずとも、この落語界の中の居心地が良くなってしまう落語家はいる。自分が何者であるかを説明しなくてもよく、ある程度の共通言語があり、仕事もある。

 居心地が悪いはずがない。