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突撃リポート! 芸協らくごまつり&謝楽祭

「ピン芸人・服部拓也のエンタメを抱きしめて」 第13回

突撃リポート! 芸協らくごまつり&謝楽祭

カフェコマドの助っ人・O君、神田伯山先生、筆者(芸協らくごまつり にて)

服部 拓也

執筆者

服部 拓也

執筆者プロフィール

熱狂のファン感謝イベント!

 サッカー少年だった私は、4年に一度のワールドカップに熱狂する。

 30年以上も前、私が小学校低学年の頃になりたかった職業は、「1位 サッカー選手」「2位 マジシャン」「3位 お笑い芸人」だった。

 1993年(平成5年)の春、日本初のプロサッカーリーグ・Jリーグが誕生し、空前のサッカーブームが到来。当時のスポーツ中継と言えば、相撲かプロ野球だった中、テレビのゴールデンタイムでもJリーグが中継されていた。

 私は当時、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)が好きだった。

 キングカズこと「三浦知良」、少年がカレーを食べたら変身するCMとバンテリンでお馴染みの「ラモス瑠偉」、キュートなハンサムストライカー「武田」に、長髪のダイナモ「「北澤」、左サイドの仕掛け人「都並」、なぜかフルネームで覚えているGK「菊池新吉」などなど、個性的で、とにかく華やかだった。

 地元・熊本の繁華街にもJリーグショップができて、おばあちゃんにいろんなグッズを買ってもらった。クリスマスの朝、目を覚ますと枕元には、ヴェルディ川崎のタオルやシューズがあった。緑一色。あの頃から私の「緑」は始まっていたのかもしれない。

 Jリーグ中継で、印象的だったのは、とんでもない土砂降りの中の試合。

 プロ野球なら中止になり、『プロ野球珍プレー好プレー』の番組内でたまに見かける、選手たちがグシャグシャになったグラウンドのホームベースにヘッドスライディングをかまして、笑い合うあのシーンの数倍くらいグシャグシャのサッカー場で、試合をするJリーガーたち。

 テレビ中継も大雨でほとんど何も見えない状態。誰が敵で味方で、どこにボールがあるのかまったくわからないシュールな放送を記憶している。

 バブリーなJリーグの誕生から、日本代表が、1994年(平成6年)の「ドーハの悲劇」で本戦出場を逃し、1998年(平成10年)の「フランス・ワールドカップ」で初出場。少年だった私は、ワールドカップで世界を知り、時差を知った。

 そんな4年に一度の祭典は、スポーツにあまり興味のない人たちも巻き込み、寝不足とドーパミンと明日への活力を与えてくれる。ワールドカップは、それぞれの国民への「ファン感謝イベント」なんだと、先日のオランダ戦を観て思った。