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三遊亭小歌という落語家がいた

「二藍の文箱」 第14回

 その時に、「もう使うことはないから」と、師匠が稽古をした噺の原稿一切も預かった。

 決してネタの数が多い師匠という印象はなかったが、『三井の大黒』『狂歌家主』『鮑のし』『浮世床』『権助魚』『長屋の花見』『小言念仏』『人形買い』『道具や』『饅頭怖い』『鰻の幇間』『夜店風景』『真田小僧』『千早ふる』『月給日』これらの噺が手元に残る。

 なかには「勝弥兄」「歌奴兄」と書いてあったりする。

 1965年(昭和40年)、三代目三遊亭圓歌に入門。入門は半年ほど師匠歌司のほうが早い。前座名を歌一。二ツ目で歌橘。二ツ目の途中で小歌になりそのまま真打となる。

 1985年(昭和60年)に大師匠圓歌が先のおかみさんの死をきっかけにして得度して仏門に入った時に、「俺も坊さんになったんだ、おまえも散々悪さしてきたんだから、坊の字をつけろ」と。かくしてここに、先の三遊亭歌坊が誕生する。

 だから、うちの弟子は三代目圓歌に間に合わなかったものの、圓歌命名の藝名をいただいていることになる。

 ところが、そんないわくのある名前も、60過ぎて「坊」の字もねぇや。と、勝手に前名である小歌に戻したものだから、大師匠圓歌が怒ったのなんの。

 鈴本演芸場の打ち上げの鰻屋の座敷で、「そんなに俺がつけた名前がイヤだったら、おまえぇなんて辞めちまえ」に、並の圓歌劇団なら涙を流して謝るところが、「あぁ、そうですか、辞めてやらぁ」とケツをまくるところが、小歌師匠が小歌師匠たる所以であろう。