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第十五話 「キモノの呪い」

「令和らくご改造計画」

#10

 後日、服子が僕を見つけ、近づいてきた。

 「兄さん、床屋の“アレ”、駄目でした……」
 「そうだよね。何が何だか分からないけど。まあ、とにかく着物へ戻ったんだね」

 すると服子は、微笑んだ。

 「でも、私はこれで良かったとも思っています」
 「どうして?」

 「一度でも、ああいう経験をすれば、衣装は本来、着物じゃなくてもいいって、頭のどこかで思えるようになったんじゃないですか?」

 確かに、そうかもしれない。

 「だから、これから落語家たちは、もっといろいろな可能性へ挑戦できるかもしれません」
 「つまり、キモノの呪いが、少しは解けたってこと?」
 「そうだったら、いいですね」

 服子はそう言い残し、また前座仕事へ戻っていった。

 僕は彼女の言葉を頭の中で反芻した。確かに、新しい試みをすること自体に意味があったのかもしれない。その試みが失敗したとしても、それまでの固定観念が少し柔らかくなるだけで、状況は変わっていく。

 世界最高峰の一人芝居ともいえる、落語という表現技法。もっと大きな可能性へ挑戦できるように、落語家は「技法」そのものを抽出して、もっと愛するべきなのか。落語をかたくなに、時代劇の世界だけへ閉じ込めることは、落語という表現を生み出した先人たちの望むところではないのかもしれない。

 そんなことに思いを巡らせながら、ふと、服子の先ほどの微笑みを思い出す。少し、どきりとした。やはり、ああいう人が楽屋にいると、おじいさんたちが簡単に言うことを聞いてしまうのも分からなくはない。しかし、それはそれで別の問題だ……。

 そう思った、その時だった。客席の方から、突然、悲鳴が上がった。

#11

 何事かと思い、楽屋から飛び出す。前座さんが慌てて緞帳(どんちょう)を下ろし、高座へ駆け込む。僕も後を追った。そこには、一人の真打が頭を抱えてうずくまっていた。そしてその周りには、明らかに水たまりが広がっている。

 「し、し、師匠、どうしたんですか?」

 僕は思わず聞いた。

 「今日は床屋の“アレ”を着ていないのに、どうして高座で漏らしたんですか!?」

 師匠は、泣きそうな顔で答えた。

 「違うんだ!」
 「何がです?」

 「僕は、もともとシャワーから始まったんだ」
 「はい?」

 「シャワーが床屋のシャンプーになって、床屋のシャンプーが床屋全体になってしまった」
 「……はい」

 嫌な予感がした。

 「この間、高座で床屋の“アレ”をかけられた時に、トコションをしただろう」
 「しましたね」

 「その経験のせいで、今度は高座そのものがトリガーになってしまったんだよ!!」
 「ということは、まさか!?」

 真打は、悔しそうに床を叩いて叫んだ。

 「そうだよ! 僕は今、高座へ上がると反射的に小便が出てしまう“コザションの犬”になってしまったんだ!」
 「コ、コザションの犬!? ……じゃあ、もう落語が、できないじゃないですか!」

 二人で頭を抱える。すると、舞台袖の暗がりから、

 「イヒヒヒヒヒヒヒ……」

 という、不気味な笑いが聞こえてきた。そちらへ目をやる。暗い舞台袖の奥で、服子がこちらを見ながら、ニタニタと笑っていた。

 「服子さん……どうして」

 僕は立ち上がった。

 「まさか、こうなることが分かっていたのか。こっちへ出てこい!」

 すると、服子は突然笑うのをやめ、ゆっくりこちらへ出てきた。

 「どうしたんですか、兄さん。何を言っているんですか?」

 先ほどまで笑っていたことなど、まるでなかったかのような表情だった。

 「何って、今、舞台袖で笑っていただろう」
 「いいえ。そんなことはありません」