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〈書評〉 浪曲、女子高へ行く (新井勝治 著)

「芸人本書く派列伝 クラシック」 第16回

〈書評〉 浪曲、女子高へ行く (新井勝治 著)
杉江 松恋

執筆者

杉江 松恋

執筆者プロフィール

少年の心を射抜いた浪曲

 今回は、ちょッと変わった本を取り上げる。

 いや、今回も、か。新井勝治『浪曲、女子高へ行く』は、次世代に浪曲を聴いてもらいたいという意志が詰まった1冊である。

 この連載では題名が示す通り、可能な限り芸人が著者である本を紹介するようにしている。それに次ぐものとして業界関係者、そして評論家や見巧者の本というように続く。『浪曲、女子高へ行く』はそのどれにも属さないのだ。

 著者の新井勝治は1939(昭和14)年に群馬県桐生市で生まれ、千葉大学を出て高校教師になった。1985(昭和60)年から千葉県立佐原女子高等学校(現在は共学化し、千葉県立佐原白楊高等学校)に勤務、2000(平成12)年に退職した。本書はその翌年に刊行されている。

 つまり、高校教師である。

 新井は10~11歳のころ、地元の祭りで、木村小重友(きむらこしげとも)という浪曲師の芸を2年続けて聴いた。特に「太閤記 長短槍試合」は抜群で、詰めかけた子どもたちの間から歓声と爆笑とが「うなりをあげて巻き上がってき」たという。

 以来、新井にとって木村小重友は気になって仕方のない存在となる。新聞のラジオ欄で名前を見かけるたびに活躍していることがわかった。ある日新井は、そのラジオ欄に「木村小重友改め国友忠(くにともただし)」という文字を発見する。1952(昭和27)年2月28日、帝国劇場において改名披露興行が開催されているので、新井が13歳の時だ。

 続けて浪曲ファンではあったが、1962(昭和37)年から教師の職に就いたこともあり、国友忠との間にあった距離は開くばかりであった。やがて30年の歳月が経つ。

蘇った記憶

 再び国友忠を発見したのは、テレビ画面の中だった。

 午後6時台、民間放送のニュースである。後述するように、国友忠は中国残留日本人の帰国問題に取り組んでおり、このころは一時帰国をする残留婦人などのため、自宅のある茨城県に〈ふるさとの家〉という施設を作って運営していた。それが取材されたのである。

 ひさびさに国友忠の名を聞いた新井は、1998(平成10)年10月16日の朝日新聞夕刊に目を通して驚く。その国友忠が、79歳にして浪曲復帰を果たすことが報じられていたのだ。

 復帰の舞台は同月18日、浅草木馬亭における独演会である。新井は足を運んで「母の幸せ」「猫虎往生」の2席を聴き、感銘を受ける。そして、国友忠の浪曲と中国残留婦人の経験談を、次年度の佐原女子高校の芸術鑑賞会でやってもらおう、と決意を固めるのである。

 ようやく『浪曲、女子高へ行く』の題名まで辿り着いた。本書は、自校での浪曲会開催に取り組んだ教師の奮闘と、実際に芸に触れた高校生たちがどのような反応を示したかを綴った現場からのルポルタージュなのである。

 新井は国友忠に関する取材を重ねており、木村小重友時代の1947(昭和22)年から1965(昭和40)年までのテレビ・ラジオ出演記録や、国友忠の代名詞である『銭形平次捕物控』について、野村胡堂の原作から舞台化・映像化の歴史を調べるなど、巻末に豊富な資料を収載している。その部分だけでも一見の価値がある本だ。